プライドって実はどうとでもなる
いろんなゼミ生が集まってボーリングでした。
なかなかの接戦でした。
優勢チームからチャンスをもらうために地に膝をつけて
頭を地面に向けて下げる行為,
いわゆる土下座,おそらく人生で初めてした気がします。
(強要されたわけではなく,もちろん自らネタでです)
そうそう,25年間で1度もしたことがない気がする。
ただ,今日してみて,自分にとって有利なチャンスが貰えるなら,
その行為は大したことないなぁと思いました。
「プライドが~・・」とかってよく言われますが,
土下座=プライド
と捉えてればそりゃそうだけど,
自分にとってのプライドがどうされることで傷つくか,
という価値観のベクトルをヒョイっと変えるだけで
大したことないないなぁ,と行為後に思う。
少し性格悪めな発言だが(笑)
だから,懸命に土下座しているように見せるテクニック
さえ習得して,チャンスを掴めれば,もう何とも思わない。
そしてそのチャンスを生かし,目的さえ達成できれば
土下座なんていくらでもできるなぁ,て思う。
「土下座=プライド」という価値観の持ち主を
結果的に欺けれるわけです。
となると,ぼくの「プライド」というやつは
一体何になるのでしょうか。
「プライド」という感情が全くわからなくなってしまう自分がいるのです。
「今なら空を飛べる気がします」
とかっていうセリフ,よくあるじゃない?
あれと一緒で,
「今なら何でもしてあげられます」
という状態である今の自分。
プライドとは一体なんなのでしょうか。