見栄え重視型授業
複雑なストーリー(小説ではなく専門書において)で構成されている本を読むとき,ぼくの場合,付箋は欠かせない。
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「いい言葉やなぁ」
「あとでもう一回調べてみよう」
そう思える部分には付箋を貼っていく。
今読んでいる本には,
ピンク色の付箋を使用している。
さきほど読んでいる途中に,チェックしておきたいところがあったから,そのピンクい付箋を貼ろうとしたのだが,見つからない。
昨日はあったのに。
盲目的に探し呆けた約10分。
なんでそこまでその付箋に執着していたのかと思い返せば,
きっと本の見栄えを気にしていたんだと思う。
本の5分の4ページはピンクの付箋なのに,
いきなり青だの黄色だの,異なるカラーに変わるのが,
「見た目」的に許せなかったのだ。
その本を誰かに貸すつもりはないし,
完全に自分だけの本であり,
たとえ付箋のカラーが異なってもぼく自身はそこまで気にしないはずなのに。
でも,誰かがふとぼくの机に来て,その本を見たときの
状況に備えていたのだろう。
「あ,こいつ勤勉だね,その上,きれいに付箋まで貼ってやがる。」
と思わせたかったのだろう。
他者評価ばかり気にしていたのだ。
ぼく自身の問題なのに,なぜ他人の目を気にしてしまうんだ
と自分を責めたくなる。
そういえば,教育も一緒ですよね。
特に,ほら,授業とか。
もっとスペシフィックに言えば,
授業参観や公開授業。
あれなんて,子どもの学びは後回しですからね。
子どもの学びさえ充実していればいいのに,
参観者からの目を気にしているばかりに,
授業者の蛇足が,まあ多い。
観客のためのパフォーマンス重視感がこの上極まりないのだ。
いや,その板書もそうだし,
何そのテクニックじみた発言。いらんだろう。
そんなのいいから,
子どもらに対話オンリー(あえて中心ではなくて)の学習をさせよう。
学習コンテンツがふんだんに取り入れられたタブレットなんかを渡しちゃってさ。
その方が学習の質も量も,絶対いいのに,
従来のものよりかは,はるかに。