言動一致すれば,まあ大丈夫さ
「上位2割は必ず動いてくれる」
「本気で語れば,何人かの胸に響き,動く」
『学び合い』のセオリーです。
教師が授業の中のどこかしらで(だいたいは授業最初の5分or最後の5分),子どもたちに向けて願いやビジョンを語るわけです。
そして課題達成の意義も。
そうすると,それを聞いた子たちが最初は数名程度ですが,動き,他の子に働きかけ,ついには課題を全員が達成できてしまうという,そんな授業が『』。
ただ,今日そのセオリーに,物申している知人がいた。
「信頼されてないと2割の子にすら切られるぞ」
と。
昔のぼくだったら,
「でも2割は..!」と反対してたことでしょう。
ただ,今だったら,
本当にそうだよな,と思える。
そして,改めてそうだよな,
とその方の言葉が,自戒の意味で響いた。
例えばぼくが,いわゆる「上位2割」の高校2年生だとして。
例えば当時通ってた高校のある教科の先生が,『』をし,語りだしたとして。
ぼくはちっとも動かずに,ひたすら「自由」に学べることをいいことに,一人で自学自習をしていただろう。
「だってあんた,自分の普段の行動とぼくらに要求していること,矛盾してますやん」
「そもそも信頼してないのに,そうやって語られてもなぁ..」
ぼくのような人全員が2割だとしたら,
なかなかカオスですね。。
そういう意味では,
2割に信頼されることは本当に大事だなあと。
言葉と行動が一致していないといけませんね。
そうはいっても,
なんやかんやで,「先生かわいそうだから私が動いてあげなきゃ..」という子ができたり,「まあ,ここで意地張ってても埒が明かないから,動いてやるか。かったりぃ~」というヤツも生まれるんじゃないか,とは思う。
真の2割の誕生です。
この状況にたどり着くまでには,結構時間はかかると思いますが。
ぼくの中で『学び合い』を成立させる上で捨てるべき邪念は,
「みんなに好かれようとする気持ち」だと思う。
好かれればいずれは強い人間関係を表す「信頼」につながるかもしれませんしね。
ただ,みんなから好かれようとするくらいなら,
クラスにいる,2割の ムードメーカー/学級委員的な存在/ヤンキー/やんちゃ坊主 に好かれることに注力した方が効率的だと思う,『』を成立させる上でね。
そもそもみんから好かれるなんて,無理。
できたとしても,どこかでこじれて,余計メンタル来るだけ。
「ほんのちょびっとのテクニック(取り繕う的な意味での)」と「ありのままの自分」がかけ合わさったぼくを,まあまあ好きになってくれる人が2割だったら,いいなあ。