兄の小銭をくすねて得たものは「お金」じゃなくて「お金の意味」
むかしむかし,ぼくは家族内では泥棒猫でした。
たぶん,小2くらいの頃。
実の兄の小銭入れから,二日に一回くらいの頻度で,
10円,50円,そして100円と,定期的にお金をくすねていた。
例えば,35度のぬるま湯に浸かっていたとして,2分ごとに1度ずつ上げていっても,結果的には50度にも浸かれてしまうなんてこともある。
それと同じ原理でバレないはずだ,と思い,行動に移した。
最初の1週間はバレなかった。しめしめ,と思っていたが,
なんでか知らないけど,気づいたらバレていて,現行犯で兄に見つかってしまった。
兄と歳の差はそこまで離れていないので,あのとき「大人の対応」といものは一切なく,衝動的に警察に電話をかけられてしまった。
「もしもし,警察ですか?あの弟が..」
と受話器にしゃべりかけている瞬間は,結構トラウマで,
「牢屋に入れられてしまう」
という恐怖心からギャーギャー泣いてしまった。
ちょうどその瞬間に居合わせた母親は,慌てて兄から受話器を取り上げ,電話の向こう側の警察に陳謝していた。
その経験から,ぼくの辞典の「盗む」には,
人の技術を盗み,活用するのは構わないけど(いわゆるマネ),お金を盗むのは絶対にダメ
という意味が付け加えられた。
そもそもなんでお金を盗む行為に走ったかと言えば,
そのときくらいに,お小遣い制度が導入されたからだ。
でも,お小遣いの意義を,今,覚えてないということは,
母親のお小遣い講座を聞き流していたのだろう。
「お金持ち」という言葉を覚えたのもその時期から数年前で,いわゆる僕の中では新出単語。ただ,家族・友人を含めた周りの人みんな,それを良い意味で使っていたのは確かだ。
つまり,その良い意味の具現体にぼくがなれば,結果的にぼくも良い存在になるのかな,と思い,ゲーム等への浪費は避け,とりあえず貯めることに専念した。
ある段階で,これじゃメチャクチャ「途方もない塵積だ」と悟り,最終的に例の行為に及んだのかなと,今では分析している。
ぼくに,子どもが一人,二人,三人とできたとしよう。
ぼくの遺伝子を引き継いでいるわけだから,きっと,兄弟間での「盗み」が勃発する可能性も否めない。
事が大きくなる前に未然防止が得策でしょう。
小さなものから大きなものまで「失敗させること」ができるのも家族ならではであるけども,トラブルはなるべく避けたいもの。
そこで父として何をすべきか,と考えたとき,
子どもたちにお金の意義をしっかり語る必要があるのかなと。
ちゃんとわかるように噛み砕いて。
と言っても,現時点で,ぼくのお金の考え方は未完成だし,なんならまだ習い中。
ただ,お金持ちが良いのではなくて,
与えられたお金を何かに投資して,新たに何かを生めたらいいよね
だろうか,なんとなく理解しているのは。
しかもその「投資」の対象は,自分のみを見据えてってより,「誰かが喜ぶ姿」を見据えて,だったりするのかなと。人のためってことです。
ぼくは,今のところ,そう捉えている。
実行に移せてはいないが,
その頃には自身の生き様がそうなっていると理想的だ。
背中で語れたら,かっこいいなぁ。
そういえば「親告罪」というのがあって,
親族内の窃盗は,告訴がなければ起訴することができない罪らしい。
まあ,簡単に言えば,家族や親族内で起きたその問題は自分らで解決してね,というものがあるんだってさ。
安心してください,ぼくには前科ないですよ。
まあ,あのときは,家族からの信頼は失い,
その心苦しさは牢屋よりきつかった。
牢屋の苦しさはわからないけども。