『パラダイムの魔力』を読んで
以前,クーンの『科学革命の構造』を読み,
そこでパラダイムシフトについてまとめてみました。
今回読んだ本も,パラダイムについてですね。
というのも,クーンのはやはり難しく,読了後,
あんまりしっくり来なくて,モヤモヤしてました。
この間,暇つぶしがてらブックオフをふらついていたら,「パラダイム」という言葉が書かれた本を発見。
質素で,でもどこか魅かれる表紙を纏ったこの本に惹き付けられた。
読んでみての感想。
読みやすいっ!(笑)
パラダイムシフトの事例がふんだんに取り入れられていて,それは一体どういうものなのかを,よりイメージしやすかったです。
初版はぼくがまさに生まれた年で,物心つき始める年頃を考慮すれば,使われる事例はちょっとジェネレーションギャップがありましたが,それでもわかりやすかったです。
内容は『科学革命の構造』と重なる部分がありましたが,著者のジョエル・バーカーは,「クーンはこう言ってます。でも,,」と自分の論を展開していたので,それもまた刺激的でした。
備忘録用に,気になった点だけ書いてみようかな。
パラダイムのおさらい
パラダイムと言えば,簡単に言えば,ルールと規範です。
1)境界を明確にし,
2)成功するために,境界内でどう行動すればよいかを教えてくれるもの,
です。
だから,例えば,テニスもパラダイムなんです(!)
他のスポーツと全く違うルールで行われるテニス。
ぼくが小学・中学の頃に明け暮れていた野球のようにバットで黄色い球を打ち返しちゃダメだし,高校のときのラグビーみたいに相手に接触することは許されていない。
テニスラケットという道具で,ボール(問題)を打ち返す(対処する)必要がある。
勝つ(成功する)ために,ルールで許されている限りのいろんなテクニックを使う。
そんな感じでしょうか。
パラダイムの寿命
パラダイムにも,始まりと終わりがあります。
下のは,自家製ですが,本に書いてるのをマネて作ってみました。
いろんなパラダイムが蠢く中,突然ポッと現れた感じでしょうか。
O(縦軸と横軸の接点)から生じていないのは,あえて古いルールを使わないで問題を解決し始めたためです。
フェーズは三段階に分けられるんだそうな。
A段階は,古いルールにとってかわって,新しいルールで山積みの既存の問題を少しずつ解決されていく期間です。
ただ,ルールはまだ手探り状態なので問題解決のペースはゆっくりである。
(グラフだとあまりにも変化なさすぎますが,本来はもうちょっと急です。。)
B段階では,ぐ~んと問題解決スピードが上がっていきます。
ルールが理解されたためです。
この段階だと,その新しいルールで問題を素早く見つけ出し,解決できるようになります。
(ちなみにBとCの線が途切れているのは,パラダイムによってその強力さが異なるためです。数学でよく出てくるnと捉えればいいのかな?)
C段階では,問題解決スピードが落ち,問題解決に要する時間が長くなっているのがわかります。これは健全な傾向で,単純に,曲線の上の方へ行けば行くほど難しい問題ばかりが残るようになるので,スピードが落ちているだけです。
簡単な問題はすべて解決し尽くされた,というわけですね。
『学び合い』変遷で見てみる
このグラフを,『学び合い』の変遷に当てはめてみると,これまたおもしろい。
あぁ,確かになぁって。
A段階は,研究時代にあてはまるんじゃないかな。
「研究の鬼」だったころの西川先生時代といいますか。
決して金棒を持ったバイオレンスな先生ではなくて,
研究に関してはスパルタだった時代です。
中身は今と変わらず,「中学生」だったと自分でおっしゃっていたけど。
その頃は,『学び合い』を確かなものにするために,授業で生徒30~40人に対してICレコーダーぶら下げさせ(もちろん了解を得ている),授業後,一人ひとりプロトコル分析,それも毎時間。教科はいろいろ。
膨大なデータを集め分析する実証的研究時代だ。
B段階は,『学び合い』の研究がほぼ終わり,ちょうど完成された時期でしょうか。
発達障害の子どもの成長,学力向上,人間関係の改善..いろんな面で,従来の授業・教育ではカバーしきれなかった分野で効果を発揮するようになった。
また,『』が世に知れ渡るようになった時期ともいえます。
C段階は,きっと,今のぼくがいる時期だ。
どうしても突破できない問題に直面しているような,そんな状況。
「教室」という箱の中に詰め込まれた子どもに対して一つの課題を与えて始める,「さあどうぞ」スタイルのオーソドックスな『学び合い』視点から言えば,
(確か)10人以下だと,『』はうまくいかなくなると言われている。
子どもの多様性が乏しいゆえ,「折り合いをつけて全員が課題達成」,が難しいからだ。
そのほかにもいくつか「その条件だと『』は成立しないよ」というのがあったけど,忘れた。
学校自体が,徹底的に『』を禁止している場合,とかだったかな。
ぼくとしては,その「多様性が乏しいから不可能」をなんとか解決できないかと,最近悩んでいる。
というのも,まあ今はコロナの影響で子どもたち同士の対面は難しいけど,いずれ終息し,前の日常が戻ってくると信じている。
そうすると,ぼくのゼミの同期は,「待ってました!」と言わんばかりに,『学び合い』の舵を一斉に切るだろう。
(これを読んでるゼミ生は,それまでにうまーく環境(人間関係とか)を整えて始めてね)
でもぼくは,少人数クラスで,なんなら1on1の個別塾と変わらない授業になりそうなもんで,異学年合同しか可能性はありません。
異学年にしても,その「10人の壁」を超えられるか微妙なラインです。
そういう状況なもんで,先述した「多様性欠乏問題」をなんとか..と考えている。
ICTを介して他校の生徒と授業? あ,最初それ考えたんだけどね,これがまた..
言い訳はキリがないです(笑)
ただ,子どもたちの未来を見据えると,「こうしちゃいられないのに..」とムズムズして,現状に唾を吐きたくなる。
なんとか,その「不可能」を打破したい,無性に。
パラダイムシフター
読んで字のごとく,パラダイムをシフトする人がいます。
バーカーによれば,それは4種類。
- 研修を終えたばかりの新人(アウトサイダー)
まだ若くて業界に関して無知な人。
- 違う分野から来た経験豊富な人(アウトサイダー)
それまでの分野とは全く関係ところからやってきた異星人。
これら2つのタイプの共通点は,「入ったばかりのパラダイムに知らないことが多い」が,「何ができないのかがわからない」という強みがある。
できないということを知らないからやってしまう,というわけだ。
だから最初の研修等で,「これは不可能なんだけどさ」と言って課題を与えない方がいいんです。何も言わずに与えると,彼らなら別のパラダイムを軸にやり遂げる。
- 一匹狼(インサイダー)
現在のパラダイムで仕事をし,どんな問題が棚上げされているかを知っている。そして,それらは解決不可だと知っている。そして,真っ先にパラダイムを変えようとする人である。
強みとしては,パラダイムを熟知しているのにも関わらず,それに囚われないこと。
色眼鏡で物事を見ないという能力が大きい。
- よろずいじくりまわし屋
棚上げされている問題に自ら好きこのんで取り組む。そこに特別な問題があるとは知らず,ただそこに問題があると認識している。
イノベーターと同じ「物好き」ってわけですね。
25年間の人生を思い返すと,これら4種類のうちのどれかに当てはまる人,いたなぁ。
パラダイムの長所と短所
“パラダイムをつくること”
=”強みであり,弱みでもある”,なんて言われます。
パラダイムが整備されていくと,複雑なものでさえそのルールに則って整理できるし,効率も上がる。すんごい便利ですよね。
ただ,その分野に長けてしまうと,
新しい発想に対して白い眼を向けるようになり,煙たがる。
「ぼくが支持するこれに落ち目はない!」と。
でも,そうしていると,気づけば新しいパラダイムに乗り遅れているなんてことも全然あるわけであります。
この現象,というか症状は
パラダイムの麻痺(または,カテゴリー硬直化)て言うんですって。
個人でできる対策としては,
広い心を持つこと,の一言に限ります。
つまり,違うパラダイムを持つ人と話すときは,
「でもそれって..」と口をはさむのではなくて,
相手の話をじっくりと聞く。とりあえず聞く。
「この人は自分と違うパラダイムで物事を見ているんだな」と。
たとえ,両者が全く同じ対象を見ているとしても,
彼らの目には違うように映っているわけです。
だから,「事実が違う!」という捉え方はしないで,「データをより分けるフィルターが違うだけ」と捉えるのがベターなのかもしれません。
もちろん,話を聞いている最中,相手の考えに賛同しなくてもいい。
ただ,両者の間に生じている「その違い」さえわかればいいんです。
相手がどんなパラダイムを持っているのか,を。
読了後,そんな考えが芽生えました。