教採の面接は不自然でしかない

2年前の8月と言えば,教採二次試験。

面接のことを不意に思い出す。

 

教室に入ると,面接官は3人いらっしゃった。

 

入って,作り笑顔のままお辞儀をし,

人為的に半径5m隔離された木製のイスへてくてく歩き,座った。

右から左へ,なぞるように,でもさらっと,

面接官の顔を見た。

 

 

女性一人は優しそうで,雰囲気は和やか。

「この人になら何でも話してみたいし,

 多少の粗相は許されるはず」

と勝手にリラックスしていた。

 

次に隣の2名の面接官に目を移す。

うん,堅い。堅すぎるよ。

何も悪いことしてないのに,なぜか校内放送で名指しで職員室に呼び出されて,「何でしょうか..?」と先生をビクビク訪ねる高校2年生時代を思い出しちゃうくらい。

怖いったらありゃしない。

リラックスから緊張へ戻った。

 

「だからぼくは面接が嫌いんなんだよなぁ」

て,試験後に誰かに愚痴った記憶がある。

 

面接で話した内容は,正直,細かく覚えていない。

 

ただ,「一生懸命暗記したその自治体の教育施策」と「大学院で学んでいることをどう教育に還元するか」を話した記憶がある。

あ,あと,「部活動のあり方」もか。

 

「きっと,面接官担当者全体で,事前に

 ミーティングとかしてるんだろうなぁ」

て当時は思ってました。なんなら今も。

 

共通認識が図られていたと思うんですよ。

一律のボーダーみたいなのを設けて。

面接において価値観の差がでないように。

「県の教育目標は,”OOを目指す”だから,こういうのに注目しながら,面接はやっていきましょう」みたいな。

 

「格好の餌食」というか,「これを軸に聞いてくるだろうな!」と予想していたのは,「自治体の教育施策」でした。だから,一生懸命覚えました。

けれど,蓋を開けてみれば,教育施策については言及されず,暗記の求められない比較的自由度が高い質問が来て,拍子抜けしました。

 

「何回もの練習で洗練された面接なんて,不自然極まりないからぼくは嫌いだ!」という変なポリシーから,面接練習は2回だけにしてもらい,本番のその面接に臨みました。

 

そういう意味では,「練習してきた成果を見せてもらおうじゃないの」式面接とは一線を画した,その「自由度のある面接」は,ぼくには丁度良かった。

覚えたことを一生懸命思い出す必要はなく,信念とか思考とかをそのまま言葉にするだけだったので,楽しい30分間を過ごせました。

 

面接全般に言えるけど,

なぜ,「不自然な距離を両者の間に設けた対面形式の面接」を,採用試験で設けるのか,ぼくにはわからない。

不自然な形式なのだから,受験者は不自然な対策をし,本番で不自然な回答をするに決まっているじゃないかと思います。

 

面接後に,「あの人は自然に話せてたよね」と面接官同士で協議する様も不自然でしかない。

 

不自然なものからは不自然なものしか生まれないですよ。

 

授業だって,ほら,一斉授業という不自然な形態を客観的に見れば,あの子どもと教師の掛け合い,不自然以外の何物でもない。

 

 

ぼくが仮に採用担当者なら,

面接じゃなくて,もっとラフなスタイルにしたいな。

 

一緒にランチついでにご飯なんか行ったりして,

食べながら受験者の話を自然に聞き出す。

「へぇ,おもしろいですね!」

「それもっと聞かせてください!」

と太鼓判を押すわけではないが,自然にリアクションして。

 

もちろん,相手もぼくに質問ができるような

雰囲気づくりは心掛けたい。

そんな感じで,その人を見極めたいなぁって。

受験者がめちゃくちゃ少数なら実現可能か。

 

教採みたいに受験者が大勢なら,どうしよう。

 

たぶんスタイルは一緒で,

ご飯ではなく,お茶とかしながら,

気軽に話すのかな。

 

.    .    .    . 。

 

具体的な教採パターンは思いつかないな。

 

 

「学校側」というより「県側」が採用したい人材を選択するこの試験形式は,実に集権的過ぎるわけで,ぼくの理想はフィットしないですしね。

 

 

ただ,人を雇うなら,

徹底的に不自然さを削いだ方がいいよね

って話でした。