ぼくのオンライン授業に対する心構え
前までいたゼミに,占いにハマってる後輩がいて,
「こうだいさん,どうですか」
と,分厚い占いの本を両手に占ってくれた。
未来を占う,というより,
現状というか,自分の個性・生態・性格を言い当てるタイプの占いで,「お前さんはOOだから△△に気を付けましょうね」という忠告付き,「OOのセンスあるから頑張っていこーぜ」という励ましの言葉付きだった。
ぼく自身,これまで2回,生身の人間に占ってもらったことがある。
横浜と長野の有名占い師。どちらも手相。
1000~2000円という安めの設定でお願いしたため,その分,条件も限られて,正確さが低くなる。それでも,当たっていた。
家族の内情とか自分のこれまでの生い立ちを,
ここまで言い当てるんか,と若干引いた記憶がある。
ただ,後輩の本の方が,
ぼくという存在を,かなり正確に言い当てていた。
紙切れの集合体のくせして,なんでここまでわかるんだよ!
と,驚きと,喜びと,恐怖と,少しばかりの苛立ちを覚えた。
いろいろ当たっていて,そのうちの一つに,
「真似が上手」
とあった。
ふむふむ。
声とか仕草,吸収しちゃいますしね。
あと,「これだ!」と感銘を受けた思考とか行動は,その対象者の技術を真似(パク)るようにしてます,とことん。そして,時間と共に,自分流にアレンジする。
おそらく,オリジナルっていうものは自分の中にはないです。
一見新しく見えても,それは所詮,
ぼくが丁寧に真似(パクっ)たもの同士を複雑に絡ませたナニカに過ぎませんからね(笑)
お見知りおきを。
その占い本をさらに読み進めていくと,
「憧れの人の近くで仕事をして真似をするといいでしょう」
とあった。
あら,良い得て妙,といいますか,フライングで書いちゃいましたね。
すでにそうしてますよ。
ただ,意識的にやってないから,頻度は少ないかも。
個人的にはこの方が生きやすいし,
その本もそう言ってますし,
これからも忠実にそのポリシーは守っていきたいな。
そういえば,昨今,学校現場では,
「オンライン授業をどすうるか」
が,話題ですね。
自分の頭の中には,「こうしてみよう」はあります。
ただ,抽象的で,ボンヤリしてて,説明を求められても,どうも言語化ができません。他人に対する説得も実は厳しい。「ぼんやりした理想」なんですよね。
例えるなら,「蜃気楼」くらい,
くっきりとまではいかない,あのボンヤリ加減。
だから,「コロナ騒動×オンライン授業」の問題に出くわし,ある程度時間が経つと自分の中で決めていることがありました。それは,
オンライン授業については,
一旦ノータッチで行こう
でした。
まあ,これまで学校側に,オンライン授業について直談判してたんですが,「公立校のモデル」を欲してることがわかりましたので,それがないとまずは始まらないのかと判断したこと。
それに,仮に,いざ,やりましょう,となっても,いずれにしても,ぼくはスムーズにできなかったでしょう。
真似をする(パクる)対象がないので。
(自分の中に,「そのときはそのとき論」があるので,なんとかなってはいたでしょうが,険しい道になっていたでしょうね)
幸いにも,公立校のオンライン授業のモデルが
どんどん出始めてますね。
それに,前まで所属していたゼミが,今,「オンライン『学び合い』」のマニュアルを,四苦八苦しながらまとめてくれているようで。
ありがたい。
これを手に取って動き始める先駆者の後ろに,
ついていきたい。で,タイミングを見計らって,自分のオリジナルを生み出す。
たぶん,その前に,『』とは関係なしに,もっともっといろんな人のオンライン授業モデルが生まれるだろうから,
それにも注目していって,「これだ!」が見つかり次第,後ろについていこう。
いずれにしても,ぼくの頭では,
ゼロからの,つまりモデルなしの実践は
ちょっと負担が大きい。
そんなぼくは,こざかしいやり方で,
結果的に波に乗ろうかなと。
なんてキザなことを言ってみたい。
機は熟した,なんて。