たぶん忘れた,けど憶えてる

ぼくが,英語という教科を専攻し,教師になった背景には,中学の頃の恩師の存在がでかいんですよね。

中1の頃,26個のローマ字も1カ月かけてやっと覚えたし,英語特有の文法にも嫌気がさしてたもんだから,当然,英語の定期テストの学年順位は常に下でした。

 

それを見かねて喝を入れてくれたその先生のおかげで,学年トップクラスに仲間入りし,なんやかんやで今に至りますし。

 

今のこの人生,本当,偶然でできたようなもんです。

 

仮にその先生が,社会科の先生で,社会という教科においてぼくに喝を入れてたなら,もしかしたら今ぼくは社会科の先生になってたかもしれないし,考古学者になってたかもしれないし,ひたすら世界中飛び回って,遺跡の発掘に勤しんでいたかもしれないし。

 

まさにクランボルツの偶発性理論だなぁ,なんて。

 

その先生,つまるところ恩師に最近会ったのは

今から3年前の3月。

 

教採を受ける年だったので,

また「頑張れよ」と喝をいただけたらと不意に思い立ち,中学を卒業して以来7年ぶりに,電話をかけてみました。

 

野球部の監督と部員という関係でもあったので,

電話番号は知っていたんですよね。

 

「もしもし。」

かけてみると,向こうから聞き覚えのある声が。

 

「もしもし,先生,お久しぶりです。こうだいです。」

たったこれだけしか言わなかったのに,

「おぉ!こうだいかー!久しぶりだな,元気してる?」

という言葉が返ってきました。

声のリアクションから判断する感じだと,

しっかりぼくのことを覚えてたような。

 

そこから用件を伝えて,1か月後にご飯行こうということで,居酒屋ではなくなぜかイタリアンレストランでパスタを食べた日をなんとなく思い出す。

そういえば先生,お酒飲めなかったなぁと。

まあ,すごい良い時間だったので満足でしたが。

 

それにしても,電話の時,

覚えてるもんなんだなぁって素直に感心しました。

 

あれから随分時間経ってるはずなんですよ。

そこそこ声変わりもしてるはずなんですよ。

ぼく以外にいろんな生徒に「も」それまで出会ってたはずなんですよ。

それなのに自分のありふれた名前だけで,

「おっ」と反応できるなんてすごい,と感動しましたね。

 

ぼくがこれから退職まで,もし教師を続けたら,教え子が何千人も生まれるわけですが,

仮に「私のこと覚えてる?」なんて言われたら,イエスでもありノーでもある,曖昧な答えを言ってしまいそうだ。

 

それぞれの子どもに,インプレッションだったりインパクトってあります。と言っても,どちらも薄いがゆえに,長期記憶に殿堂入りしない子も生まれるのは必至です。

 

巣立った何年後かに,そんな子から,

「OOですけど,ご存知?」

なんて聞かれたらドキッとしてしまう。

ヤバい,と。

傷つけないリアクションは何かな,と必死で探す。

 

まあ,そうはいっても,

顔,名前の記憶力は乏しいですが,

一つ一つの細かいストーリーを思い出す力は,結構自信あるんですが。

 

ぼくにはその力があるから大丈夫だ,きっと。

 

そんな遠い未来を,新任1年目でもう心配している。