学校が与えるべきものは「永久保証の人間関係」
ぼくの自治体は,なんやかんやで分散登校日が隔日で設けられ,授業的なものもぼちぼちスタートって言ったところ。来週からは,やっとこさ,新学期が始まる。遅めの春だね~。
1カ月前は,管理職へ「休校期間中のオンライン授業」を打診していたのに,今はもう完全にオフライン授業。
状況は回復しつつあるのでそれはそれで良いのですが,正直ちょっと「ありゃりゃ」っていう違和感はある。
ただ,現場としては,使い慣れていないICTを使わずに済んだので,内心ホッとしているのが正直なところだと思います。
「第二波がやってくる可能性は少なからずあるので,ホッとしてられるのも今のうちかもしれませんよ」という陰湿だけど的を得てる呼びかけ運動はしようかな😏
今後もいろいろと不安だしん!(#黒川明人)
そういえば最初に書いた授業なんですけど,
科目によっては生徒の人数が少ないので完全個別授業です。
(ちなみに小規模校なので,ぼく3教科掛け持ちです。ヒエ..)
今日は英語でしたが,マンツーマンでした。
学部2年の頃,個別塾の先生やってたんですけど,そのときもマンツーマンでした。その時代ぶりでしたね,1vs1の教授は。
今日授業してて,生徒にわからないところを解説すると,顔色変わって「なるほど!」ていうレスがあるので(一瞬)うれしくなるんですけど,「でも,これじゃない」感が副作用でやってくる。
ぼくの一方的な教授でその生徒が成長していくんじゃなくて,その生徒の周りの子たちによる教授(まあ,関わり合いかな)で成長していってほしいんですよね。
そんなぼくでも,塾の先生時代は,
一方的な教授で得られるあの快感は好きでしたよ。
「わかってくれた!やった!」
とか,
「この教え方じゃダメか,勉強しないと(炎メラメラ)」
とか。上記2つは快感でしたね。
そして,自分の生徒が,自分の教授で,本当にゆっくりではあるけど,徐々に英語ができるようになっていってて,「人の成長ってこうもおもしろいものなんだ」って。
そんな快感を,今日,一瞬だけ思い出した。
ただ,今となっては,エキスパート・ノービス研究や『学び合い』から言わせてもらえば,「教えるの,ぼく(先生)じゃなくてもいいよね?」ですし,いつかはわからないけど,その生徒の数十年後の未来を見据えたとき,「限られた学校教育の中で,教師ー生徒間のみのラポールを強化してどうするの?」と思ってしまう。
確かに,教師ー生徒の信頼関係は大事なんですが,
生徒ー生徒も大事。てか,これがめちゃくちゃ大事。
むしろその比重は,「生徒ー生徒」に偏り過ぎてていい,極端な話。
「きみがここを卒業したら,ましてやぼくがここを異動したら,きみになんかあったとき,ぼくはすぐに手を差し伸べることができないんよね。」
なんですよ,本当に。切実に。
イチ学校の教師として,生徒に与えることができるモノ。
生徒の卒業後も,ぼくの勤務校異動後も,有効活用できるモノ。
それは生徒同士の,「永久保証の人間関係」なんだよなぁ。
「授業という枠組みを駆使して,
数年かけて提供しますよ」,と自信を持って言えない今,
ぼくには3ペソにも満たない価値しかない。。