ぼくの幼少期時代の話でもしようか。

 

 

研修で幼稚園児を見ていたら,自分の幼稚園児時代を思い出しました。

 

厳密には,両親共働きだったので,保育園児でしたが。

 

 

 

3~4歳のときの記憶を,いくつか列挙してみる。

 

(覚えてるもんなんですよね,それも鮮明に)

 

 

 

1.一人の若い女の先生にめちゃくちゃ可愛がられた

 

顔もまだなんとなく覚えてる。20代茶髪の女性かな。

梅宮アンナに似てる美人さんでした。

 

昼寝の時間,常にぼくの隣にいて,なぜかいつも指で耳をやさしく撫で回してくる方で,基本的に,いつもぼくにくっついて,抱きしめられることが多々あった。

 

怖さはなかった。

 

一つだけ覚えててほしいのは,ぼくめちゃくちゃ可愛かったからね。

 

 

2.あのときの冷笑,まだ覚えてるよ

 

比較的若めの兄ちゃんって幼児から人気なんですよね。

 

引っ越しの関係で,別の新しい保育園に入園した経験があって,

 

そのときは今よりコミュ力高くて,人見知りもなく,やんちゃでした。

 

そこの保育園には,「ユーイチ兄ちゃん」という若い男の先生がいて,それはもう,人気でしたね。ぼくも来て早々ですが,好きになりました。

 

お昼ご飯の時間になると,みんなが「ユーイチ兄ちゃんこっちきて!」と自分のテーブルに誘おうします。取り合いです。

ああいうアピールすれば一緒に食えるのかと思い,

ぼくも雛鳥のごとく,アピールしました。

 

ただ,一つ欠点があって,

前のブログでも書きましたが,

ぼく,めちゃくちゃ滑舌悪かったんですよ。

 

だから,どんなにうまく言おうとしても,

 

「ドゥードー兄さん」

 

だったんですね。原形すらない。

 

それでも一生懸命叫びました。けれど,他の子たちが集うテーブルへ。

 

で,そのあと,その子たちとその兄さんは,冷ややかな目でぼくを見て,クスっと笑ったんですよ。

幼少期ながら,「あ,バカにされたんだな」と感じ,

「こんちくしょ,覚えてろよ」という感情が芽生えました。

たぶん,その時点で,腹黒い自分が誕生しました。

 

 

 

3.数字や文字が絶望的に書けなかった

 

もう3か月後には卒園が迫っている12月のある日。

 

「手づくりカレンダーを作ってみましょう」という時間があった。でも,ぼくは数字が1~31まで書けない子だったので,みんながそれを終わっても,先生付きっきりで親の迎えが来る18時まで,二人で奮闘してたことを今でも覚えてる。

 

あと,数字のほかに,文字も書けなかったんですよ。

 

ぼく以外の子は,50音全部書けるのに,ぼくにはそもそも文字の概念がなかった。

 

それなのに,「じゃあ習字をしましょう」という時間が来たもんだから,ビックリしました。何を書けばいいのよ,と。

 

みんなが「ほし」とか「ゆめ」とか画数が多い,複雑な形をした文字を書いてる中,ぼくは「うし」というめちゃくちゃ簡単な文字を書きました。

 

きっと頭の中に唯一浮かんだのが「うし」であり,なんとか書けそうな文字が比較的に画数が少ない「う」と「し」だったんでしょう。3画ですから。

それくらい頭は空っぽでした。

 

 

でも,親はそんなぼくの成長ぶりが嬉しかったんでしょう。

泣きはしなかったものの,先生から受け取ったこの「うし」という文字を,家に帰ってからリビングに速攻で飾りました。

なんなら,今でも大事に飾ってあります。

劣化防止でサランラップで巻かれてる。

f:id:kohdai-0321:20200606130455j:image

ぼくが帰省するたびに,いつもゲラゲラ笑いながら言うよ。

「これは家宝だからさ」って。

 

今となっては悪意あるように思えるから,

いつかこっそり,売れるかわからないけど,

オークションに出してやる。

 

「ぼくのストーリー」付きだから,売れるんじゃないか?