「おぼろ未来」だっただけ。

「この人,賢いはずなのに,

 どうしてそんな選択をしているのだろう」

 と不思議に思うことがある。

 

ぼく自身,頭は良くないですが,

ぼくなりに,いろいろな情報の中から「これだ」と思えるものを抽出し,それをもとに「O年後はこうなるだろう」という未来予想をする。

答え合わせってわけではないけど,信頼する人が発信する情報と照らし合わせて,「僕の考えは方向としては間違ってないな」と安堵する。

 

じゃあアノ人はどうかな,と冒頭の「賢い人」の動きを調べると,自分が思い描く未来とは逆行する方向へ走っていたりする。

 

んー,と微妙な心情になる。

 

自分が必ずしも正しいとは思ってない。

正しいとは思わないけど,「明白な未来」であるのは確かなんです。

しかもそれを強力なバックアップのもと導き出せている。

 

「それなのに,なんでこの人は..」と思うときがある。

 

「お互い違うパラダイムにいるんですよ」

と言われればそれまでなんですがね。

 

どちらも正しくて,どちらも間違っている,そんなどっちつかずの世界。

「結果発表」はいつになるかわからないけど,

「未来」がすることになっている。

 

「賢いはずなのに,どうして..」となる人,つまりは略称「アノ人」は,きっと柵によって身動きがとれないのではないか,と思ったりもする。

 

過去のある時点で見上げたときは,「おぼろ未来」で,それでも動き出さなきゃと始めた何かしらのプロジェクト。

でも,時間が経つにつれて,だんだんと霞んでいた未来が,はっきりとその形を見せ始める。

 

「しまった..!そういう未来だったか。」

という後悔を抱きつつも,

「ええい,始めてしまったんだからこのまま突き進めい!」

とガッツで乗り切ろうとしているのかもしれない。

 

「これだけの人を集めて,ここまでやって来たんだ。

 もう,やるしかないだろう」

という思いがあるのかもしれない。

 

 

ぼくもそのうち,そんな「アノ人」になってしまい,

「アノ人はどうして..」と,誰かに哀れに思われてしまうそんな存在になるのかね。

 

「このチームで何か成果を出す」という固執はしないで,多種多様なチームに所属しておいて,頃合いを見て,「よし,乗り換えよう」と離脱したり新規参入できる,そんな状況でぼくは生きたいと思っています。

 

目標です。

 

状況によるけど,固執しがちな面が多々あるぼくは,

そんな生き方が憧れです。

 

薄情に見えるけど,

めちゃくちゃ柔軟で,クールで,賢い生き方だよなって思う。