聞こえないままだと無感情
今日は,先週行った幼児教育の授業参観後の検討会でした。
週末を跨いでの検討会ですが,しっかり脳裏にあのときの光景・疑問は焼き付いているのでノープロブレム。
検討会と言うか,幼稚部主任との「真面目な雑談」ですね。
一発目の質問,というか意見は,
「聴覚障害を持った子どもへの幼児教育ということだったので,すんごい変わったことをしてるのかな,と思ったのですが一般的な幼児教育とそこまで変わっていないように思えたので,逆にびっくりしました!」
でした。
それが一番の印象でした。
そうなんです。
補聴器や人工内耳を付けた子どもしかいないので,
ここで行われる「言葉(音)があまり聞こえない子への幼児教育」って,なんかすごいんじゃないか,という心構えで参観しに行きました
が,
ぼくが知ってる,あるいは頭の中にある幼児教育と
ほとんど差はなかった。
強いて言えば,可視化(視覚化)された文字が,
黒板にたくさん貼られているかな,でした。
あと,手話をふんだんに取り入れてました。
健常児だと,さらっと言えば耳でキャッチしてくれますが,
ここの子どもたちにはそうはいかない。
そこを,当たり前ですが,めちゃくちゃ配慮していました。
でも,手話に関して言えば,「ジェスチャーの延長線上」と捉えれば,全く違和感がなかった。
ビックリなんですが,ビックリしていない,
ぼくの本音はそんな感じ。
そういえば今から18年以上前とかだと,
1,2歳の段階で「聴覚に障害があるかどうか」の検査が正確にできなかったので,5歳とかになってから,「あれ,もしかして..」と親や周りが気づくことがあったようです。
だから,人工内耳を装着するベストタイミングを逃す。
しかし,その段階だと,だいぶ遅い。
聴覚障害がある場合,早期での,つまり幼児(1歳~)からの適切な処置訓練が必要で,それを怠ると,小学校上がるころには「顔が能面状態」になるらしい。
何も聞こえないから,喜怒哀楽がない。
その主任は,一度だけそういう子を受け持ったことがあるようで。
耳って,本当に大事だなと。
何も聞こえないままで生きていくって,
今更だけど,改めて,すごく怖い。