風物詩が無くなる
この間の幼稚部主任との検討会でちょこっと出た話をしてみるね。
幼稚園って、季節に合わせていろんなものを手作りするんですよ。
春ならよもぎを獲って団子を作るし、
夏や秋なら敷地内に植えたキュウリやサツマイモなんかを収穫して料理するし、
冬ならサワラなんて食べてみる。
こんなふうにして季節の食べ物、つまり、『旬』を肌で覚えていくんですって。
もちろん食べ物に限らず、
5月なら小さい鯉のぼりを作るし、雛祭りに合わせて2月後半から準備をし始めたりと、体で風物詩を覚えていく。
幼少期のこの時期にやっとかないと、成長してからじゃなかなか体験する機会がないらしい。
食に関して言えば、
今なんてスーパー行ったら、
どんな野菜も揃ってる。
スーパーに並んでいる食べ物から、季節を体感しようなんてことはもうほぼ不可能なんですね。
いちごが獲れる時期、
ぼくですら大学3年のときに知りましたよ、友達と言ったいちご狩りで。
「あ、一応、冬なんだ。夏でも買えるから、基本的にオールシーズンだと思ってた」
でしたからね。
まあ、実際そうなんですけど。
人間が知恵を搾って生活を豊かにしていく一方で、ゆっくり消えていくものもあるんだなぁ。
おそらく、学校の食育の一環として、教師が「この野菜は本来、夏に収穫されるものなんですよ!食材と季節って強い繋がりがありますねぇ!ねぇ!」なんて熱く語ったり、収穫体験をさせたところで、「ふーん」で終わるような気がしなくもない。
なんなら、ぼくも「ふーん派」ですし。
捻くれてるから、「そうは言うてもね先生、ビニールハウスとか、GMO、生体工学の面で、昔に比べたら食糧難のリスクは減るから、別によくないすか?」からの仕舞いには、「この先、食から四季を感じ取ることは無くなっちゃったりして。ケケケ」なんて薄ら笑いして、その場の子どもをキョトンとさせて、周りの先生をドン引かせる発言をする「心は25歳、見た目は6歳のこうだい」という名の小僧を想像してみた。