その忙しさに違和感

人が感じる忙しいって,

本当に千差万別なんですよね。

 

あ,久々に今日のはちょっとだけ長いので,

 だけ知りたい方はここをクリック。

 

話は戻ります。

例えば,

「俺の職場,めちゃくちゃ忙しいぞ」

とか

「学校出たの,22時だったあぁ..」

と嘆いている人を見ると,一瞬ヒヤッとします。

「ぼくのとこより,めちゃくちゃ黒だな..」と。

 

ただそのあとに,「待てよ」となるわけです。

 

「彼らは正当なズルをしているのかな?」と。

 

「しっかりやるべきもの」に混在しまくっている「どうでもいいもの」。その「どうでもいいもの」に時間を割いているんじゃなかろうか,て。

と言っても,組織がそれすらも許さない厳しい監獄なら,話は別ですが。

 

ぼくは,「自分の判断基準」と「先輩教員との日々の談笑」を通じて,一つ一つの仕事にどれだけを時間をかけようか判断している。

それと,この業務をしましょうと仕事を持ってきた人が,それを真意で持ってきたのか,それとも上からの命令で仕方なく仕事の分配をしているのかを,何気ない言動をめちゃくちゃ観察してます。「微かな本心」を見てるんですね。

だから,「あ,これ嫌々やってるな。手を抜こう。」と判断できたりします。

 

ぼくはそんなふうにして,

「結局はやらなければならない仕事」を2つに分別して,

こなすようにしてます。

 

一つ一つに全精力を注いでたらキリがないですもん。

 

大学生とか大学院生の頃,

「なんでそんなことに時間をかけているの?」

と思ってしまう人に何度も出会った。

忙しそうなんですけど,無駄に思えるようなことに一生懸命な人。

「OOすればいいじゃん」と至極シンプルな助言をしても,

「でもオイラは,OOOという思いがあって,XXXじゃないとだめで..」という理由を教えてくれる。

 

それでも理解できないんですね。

「ん?違うくない?」と。

「いや,だから..」ともう一回助言しても,

「それでも,」に結局はたどり着く。

ぼくとその人の間には,「考え方」という共通言語が存在しないことがわかる。キリがないので,それ以上は首をつっこまないで放置。

しばらくすると,うわーんと泣きついてくる状況になっている。

言わんこっちゃない,とそのたびに思う。

 

 

自分で自分の首を絞めておきながら「苦しい..」と足をバタバタさせているだけなので,「手,首から放してみたら?」と言う。

「いや,無理です。」と返ってくる。

「今より楽になるよ?それに今よりできることも増えるよ。」

と説得しても,

「いや,かくかくしかじかの理由でできません。」

と返ってくる。

「そうですか,ぼくには大した理由に思えませんが..死なないでね。」

と通り過ぎてゆく。

 

「ぼく」と「ぼくと違うパラダイムで忙しそうにしてる人」は,

きっとそう映っているのかもしれない。

 

もちろん,自分と同じ「忙しい」を共有している人もいます。

なんなら,ぼくの「忙しい」が,他の人には,

上の状況みたいに「滑稽」に映っていることもあるだろうし。

 

 

文字通り,心を亡くしてしまうほどの「忙しい」に日々苦しめられているなら,違うパラダイムをお持ちの他人に話してみたらいいと思う。

「これ意味あるのかな..」とモヤモヤした状態で業務に取り組んでいる人はなおさら。

と,今よりさらに忙しくなる未来の自分にもアドバイスしとく。

 

結論

「忙しい」は,そんな多くあるはずがないと思います。

もっと言えば,忙しくなるくらい大事なものが,

一人の人間(平社員)に押し寄せるなんて,おかしい。

もしそれが自分の身の回りで起きているなら,

組織の管理者に問題がある。

 

あとこれも付け加えたい。

子ども型大人が言い放つ「真実はいつも一つ」のように,

本当に大事なものって,今,自分の目の前に積み重なっている山のような業務のほんの数%に過ぎないと思います。それ以外は,ただのまやかし。

 

ぼくはそんな考え方を持ってます。