大学院時代は一人で昼食とってたよ
数ヶ月前に修了した大学院へ入学したばかり頃をちょっとだけ思い出す。
て、なんか日本語としては成り立ってるけど、言い回しが面白いね。
それはまあいいか。
僕以外の院生みんながお昼になると,授業教室を出て,学食とかへ向かってました。一緒にワイワイご飯を食べるためですね。
みんながみんなそうするわけではなくて,行かない人たちもいました。
持ってきたお弁当を数人で固まり,談笑しながら食べるといったそういう群。
ぼくはそれをよそ目に,朝に作った手作り弁当を,「今日のはなかなかうまくいったな」なんて思いながら,速攻で平らげ,図書館で借りた本を読み始める, 次の授業が始まる5分前まで。
周りの人には,
いわゆる「話しかけるなよオーラ」が感じられてたそうで(後日談),ご飯行こうよ,と声をかけてくれる人は誰一人も現れなかった。
ぼくとしては,
「仮に声かけられたら(誘われたら)行く」準備は常にできていたのでちょっと寂しかった。
と言っても,誰も声をかけてくれなさそうそうだから,自分がそのときにしたいこと,例えば読書の時間を用意をしていたので, 思い詰めるほどのことでもなかったんですがね。
伊達に23年間生きてなかったので。
そんな暗めの時期から何か月か経って,
いろんな人とそこそこ打ち解けるようになってましたね。気づけば「よく話す友人たち」ができていたし。
そんな彼らと,外部の人たち(西川研究室にくるお客さん)を交えてお食事会(宴会)をすることがあった。
お酒も回ったところで,大学院の最初の時期の話になった。
そしたら,その友人のうちの1人が不意に,
「そういえばお前,あのときマジで一人だったよな!みんながご飯行ってるときにお前ひとりで寂しそうに食っててさ!」
とからかいだした。
その人は,「集団行動こそ美徳」という,ぼくとは真反対な性格の持ち主だから仕方ないのかなと思いつつも,
「まあ,だってね,みんなとご飯行くよりあの時は読書したかったしね~」
「規制がないなら自分がやりたいことを優先するで良いじゃんね」
と答えといた。
そしたらその人が,お客さんたちに,
「ね!おかしいっすよね!普通は周りに合わせますよね!」
なんて同調を求めていた。
でも,そのお客さんのうちの一人も,
ぼくと同じタイプの人だったようで,フォローしてくれた。
「いや,別にそれでいいんじゃないかな。
それこそ個別最適化された西川研究室ゼミ生にふさわしいというか,西川研究室っぽいよ」
とおっしゃってくれて,
同調を求めていたその人は少し拍子抜けし, ショボンとしていた。
「自分がやりたいことをやる」
って,ワガママとか協調性がないと勘違いされがちだけど,違うんですね。
与えられたミッションを達成するうえで我慢しなきゃいけない部分があるなら,そりゃするけど,周りに害がないなら,自分がしたいこと優先しても問題ないじゃないないの。
昼食時のあの件は,
そもそもあそこにミッションはないよね。
「周りの流れに合わせて昼食をとりましょう」なんてルール,明示されていなかったわけで。
そして,あの時間・あの空間でご飯を食べなくても,ぼくはそのうち,しれーとそれなりに多くの人と良質な人間関係を構築できる自信があったからやったまでなんですね。
と、おそらくこの記事は、去年の冬に中途半端に書き終えたものだったので、今更編集して投稿してみる。