ぼくは馬耳東風のプロだったよ

「ところで自分はさ,どういったところが成長したのかな?」と,学校帰りの車の中,

いきなり漠然としたリフレクションタイムに入った。

 

本当にいきなり。

 

校庭の広さが地区イチだった小学校。

たった2つの小学校の児童からしか構成されていない中学校。

家からチャリと電車で片道50分かかるプチ進学校

「志望」と「妥協」が入り混じった大学。

興味本位で日本を出た外国。

直感的・運命的に選んだ大学院(というか研究室)。

 

いろんな経験をした。

いろんな人と出会った。

いろんな人といろんな「ひと悶着」があった(!)

 

こういった経験を踏まえて,ぼくの中ではどこが成長したか。

 

自己満足的ではあるけど,

「人の話をそこそこ聞けるようになった」

というのが微々たる進歩でありながら,大きな一歩だな,と。

 

誤解を生まないために弁明すると,

人の話は聞けますよ。

耳あるし,聴力検査も毎回パスしてるので。

 

ただ,話を「聞くか/聞かないか」(いわゆる意識のON/OFF)は,話す人で判断してたんですね。

 

例えば,「礼儀正しくしろよ!」と普段口うるさい人が,何食わぬ顔でタバコをポイ捨てしてるのをぼくが目撃してしまったら,もう完全に心のシャッターが音を立てて閉まる。

当たり前ですよね。

言語道断を通り越して,「アホか」と呆れてしまう。

 

たとえその人が自分より何年も年上かつ現場経験豊富であっても,「あ,もういいっす。」と心の中で思っているので,その人がぼくに対して何か言ったり語ってきたところで,何も頭に入らないんですね。

 

もちろん,ぼくもお人好しというか,人に好かれやすい一面があったりなかったりすので,「露骨に聞かない」という態度はとらない。

一生懸命聞いているフリをします。

最強の馬耳東風かますんですね。

 

でも,ここ最近のぼくを振り返ると,

自分の中で納得できない人がぼくに説教をしてきたら,すぐにはシャッターを閉めなくなったなぁ,と。

「言ってることは間違ってないもんなぁ」と,「大事な部分」や「自分の非を認めざるを得ない部分」をちゃんと吸収できていたりする。

 

「この人に言われるのは癪だけど,でも,冷静に判断すれば,間違ってはないんだよなぁ」と,納得するようになったんです。

 

意地っ張りな性格なぼくは,

この「落とし込み」ができなくて,

そこまで多くはないですが,

いろんな人と衝突してきました。

最悪なケースは絶交も。

 

そういう意味では,自分に一言。

 

成長してるやん,自分。