あのときのサッカー部の話でもしようか。
ぼくが高校時代,「闘球部」と書いて「ラグビーぶ」と読む部活に所属していた事実はもう基本情報になりつつあるわけですが,今日は同じグラウンドを共有していたお隣さんサッカー部の話でもしようかな。
当時のサッカー部は,もうあれだよ,人数比が羨ましかったよね。
ぼくらラグビー部は,1年生:2年生:3年生=5:4:1だった。3年生って,ぼくの代のことですが,もう,後輩だらけ。
人の上に立つこと自体あんまり好きじゃなかったぼくは,怖くない先輩(キャプテン)だったので,舐められっぱなし。
まあ,試合の時はそれなりにみんな動けてたんですが,練習においては手を抜く習慣があったので,あんまりいい結果は出せませんでした。
一方のサッカー部は,1,2年生:3年生=6:4くらいで,同期の3年生の部員数がちょうど良さげ。3年生としての先輩の威厳を保ちつつも後輩と仲良くやっていた。いつも「いいなぁ」と指を咥えて遠くから眺めてた。
それともう一つ,「いいなぁ」と思ってたのは,
コーチがいなかったこと。
規則上,教職員の中から誰かしらサッカー部代表,いわゆる監督を配置する必要があったので,「ちょっとあなたの名前この枠に入れさせてね」と名前が書類に刻まれた名ばかり監督はいた。
監督と言っても,2,3時間の練習を毎日見る義務はなかったので,「見に行かない」という選択はあったんですね。
(当時の部活事情は今よりちょっとゆるめ)
つまるところ,
コート・グラウンド上の「支配者」はいなかった。
「そこでそのプレイはおかしいだろーッ!」と叫ぶ者,「なに,その態度,ナメてんの?」とスポーツの専門知識はないけどネチネチ生活態度だけ言ってくる者。
ストレスフリーな環境,いいね。
実を言うと,そのサッカー部,前年度はコーチ兼監督はいたんですが,異動になったんですね。
その人は,そこそこ生活態度や練習に対して厳しめで,部員からは煙たがられてました。
その人がいなくなった年から, ぜーんぶ部員たちで練習メニューを考えることになったんですね。と言っても,前年度踏襲のものもありましたが。
ただ,コーチという全体を統率する人がいなかった当時のサッカー部の状況を,羨ましいと思いつつも,今まで以上の結果は出せないだろうなと思ってたんですね。
「絶対,自分らに対して甘くなるだろうな」と結論付けてたからです。
技術面でも,きっと限界を迎えるだろうなって。
ただ,実際のところ,日々の練習を観察していると,「甘さ」があったかどうかはわからないですが,部の雰囲気は良かった。真面目にやるときは練習に励み,休憩時間はやんちゃしていた。ON/OFFがしっかりしていたように見受けられた。
それから2か月後の高校総体。
ちゃっかり県内ベスト4に入っちゃったんですね。
(ぼくの記憶上,確かそのくらい。少なくともベスト8以上)
驚きでしかなかったですね。
決してトーナメントの組み合わせが良かったわけではなくて,しっかり強豪校とも当たっていた。
なんなら,サッカー部史上,近年まれに見る好成績。
番狂わせやなぁ,と。
学生らだけでここまでやれるんだな,と。
コーチという「足枷」によって今までポテンシャルを発揮できなかった子が何人かいて,フリーな環境になった途端,その子らが中心となって部全体に良い化学変化でも起こしたんですかね。
要因はいろいろ考えられる。
ただ,一つ言えることは,
「大人が思っている以上に,子どもたちは能力がある」ってこと。
うまくないたとえ話するけど,
大人が,
「この子らはピストルくらいは持ってる」
と推測しているとします。
ただ,実際の子どもたちは,
「ピストルは全員持っていて,それぞれ唯一無二の武器は別に持ってますよ。ぼくなら大砲だし,あいつなら盾と槍。こいつなんて戦車ですからね。」
といった具合に,大人たちは子ども集団を何も知らなかったりする。
今なら,納得できる自分がいる。
もちろん,一概には言えませんけど。
1つの事例としてね。