『本能』なんだと思う,そのデコ授業は。

バージニア・ポストレルという作家が言ってるんですけど,ある程度生計が安定すると,人間には身だしなみやインテリアの面で,生活の外観と雰囲気を豊かにしようとする特性が働き出すんですって。

 

格好良く生物学的に言うと,洞窟で生活していた我々の大先輩,あの原始人でさえも,アクセサリーや化粧をして,身を飾り,籠や壺を置いて住居を飾っていたそうな。

 

どうやら何かを「特別なもの」にしようとする本能は,

人間の普遍的は欲求みたいですね。

 

確かに,思い当たる節はなくはない。

 

例えば,学校。

 

担任の先生って,教室をめちゃめちゃ装飾したがるよなぁって。

「そんなん別にせんでもいいのになぁ」と個人的には思う。

必要な告知を掲示するのはまだわかるけど,

おしゃれに「記事の題名」を立体的な看板風にを創作したり(伝わってくれ云わんとしていることを..),カラー用紙を使ってありとあらゆるものを目立たせお洒落にしたりして。

 

来年,担任を持つぼくは,ここでこう書いときながら,

結局,自分の教室のデコレーションに時間をかけるのかな。

かすかにではあるが,なんとなく目に浮かぶ。

まあ,そのときは,「生物学的な本能」ということでご愛嬌を。

 

 

あとあれだ,デコ教室に限らず,「教師主導の授業」もその本能が絡んでくるんじゃないかと思うわけであります。

というのも,トーク&チョークに加え,授業の中に,

なにやらいろいろと教具だったり,

(ゲーム性の)システムを投入するじゃないですか。

 

あれって,自分の授業を他の授業とは違う,特別なものにしようとする作用というか本能がモロに働いているんかなぁ,なんて思います。

生物学的に仕方ないよねと結論づける反面,

「もっと効率のいい学習(授業)方法あるのになぁ」とも思う。

 

でも,まあ,

そのデコ授業は,人間(教師)の本能なわけです,

皮肉的な意味は一切含まず。

 

そう思うと,なんとなく優しい気持ちになる。

 

「善意」「情熱」「革命」「自信」,,人間のそういった部分が絡んでくる教師主導型授業。一括りに「それはお節介だよ!」と,今までは辛辣な感想を持っていた。

「いい加減やめなさいよ!」とか「なんでわからないかなぁ!」とか。

 

でも,ちょっと待てよと。

食欲・睡眠欲・性欲と同じくらい,

「デコる」のは人間の本能なのかもしれない,と。

 

「最初から備わってる能力なんだから,とやかく言うな自分よ」

という優しい気持ちで相手をみることができる。

 

ぼくはそんな感じ。