余命宣告後のぼくは何をするのか。
自分の身内に,「年内ですね」と余命宣告された人がいます。
正式な病名は忘れたけど,ステージ4のガンなんですって。
ぼく自身,その人とは面識があっても,
記憶上,話したことあるのはおそらく2,3回程度。
たぶんぼくが赤ん坊の頃は,「高い高ーい」と
抱っこされるくらいの親密な関係ではあったはず。
知らんけど。
そんな身内は,まだ65歳くらい。
十分若いんだよなぁ。
深い関係は築けなかったので,
すんごい悲しい気持ちにはならない,
当たり前なんですけどね。
「逝っちゃうのね」
という呑気な感情。
これはまた無慈悲なのかな。
悲しさより勝っている感情,
それは,
「さて,残りの人生どう過ごすのか」
という興味が強かったりする。
「親が人生でしておきたいことベスト5」にはだいたい入る,『孫の顔を見る』はもう達成されてますし。
おいしいものはそれなりに
たらふく食ってたイメージはあるし。
家族円満だったし。
自分の欲求のだいたいは満たしてたイメージ。
さて,この段階になると,
彼,もとい人は一体,何を望むんだろう。
ぼくは,そういうことを考えてしまう。
人の死を目の当たりにして,
そんなことを考え出すなんておかしいですこと。
ところで,ぼく自身がその状況に出くわしたら,
何をしてるんだろう。
どっかの有名映画みたいに,
世界一周とか,バンジージャンプとか,
これまでしたことない刺激的なことでもしてるのかな。
それとも,「死にたくないよ..」と,
途方もなくベッドを涙で濡らし続けるのかね。
それか,
そのときの妻(今の恋人であってほしいなぁ)と
これまでの思い出話に花を咲かせたりしたりして。
絶対しないだろうなってのは,そのときの妻を差し置いて,「新しい女性とお付き合いをする」こと。その段階でそんな冒険したくない。
それとも,あれだ。
全財産投入して,古墳でも作ろうかな。
2平方メートル級の小さいやつね。
「こうだいってやつ,古墳作ったんだぜ!」て。
それとも,,
んー,
結局,くっだらないことに時間を費やして
ポックリ逝きそうだな,ぼく。