教採の結果がわかって取った行動

ぼくが大学院進学を決断するうえでの

大きな判断材料の一つに,

「講師として働きたくない」という

ワガママがあった。

 

ご存知,一発目の教採は見事に惨敗だったもんだから,進路はというと「講師or進学」しかなかった。

 

本来であれば,「講師として働きながら教採対策をし,次年度の試験に臨む」が順当だったんだろうけど,本能が「それはやめろ」とうるさかった。

母や恋人,サークルメンバーにも「受からなかったら講師や,進学はない」という言い張っていたから,急な方向転換に誰もが驚いた。

サークルメンバーのほとんどには,3月の追いコンまで内緒にしていたからすこぶる驚愕された。あの周りに驚かれる感じ,なんかいいよね。

 

ぼくの本能君がうるさかった要因はなんだったんだろう,とふと振り返る。

上越教育大の西川純先生のとこ行って,考え方を変えてこい」が6割。残りの4割は,「講師として働いたら,君は現場で馬鹿にされながら使い古されるだけだよ」だった。

 

当時は,今よりも,まあ講師の扱いがひどかったことを覚えている。どうしても立場が弱いゆえ,どんな要求にも「はい」しか言えない,そんなイメージがあった。

 

それに,「どうせ現場の同世代の正規教員に見下されるんだろうなぁ」と思ったら,ものすごく腹が立った。

なぜ年齢は一緒なのに

こいつは偉そうなんだ,と。

 

受かってるか,受かってないか。

たったそれだけで,地位も名誉も決まる,

そんなイメージがあった。

 

「きっとみんな腹の中では,講師のぼくをバカにするんだろうな」と考えると,ムシャクシャして部屋の中で雄叫びを上げたのを今でも覚えている。

#現代に生きるターザン

 

でも実際に自分が正規採用として現場に入り,

講師の立場にある同世代と働いていると,

相手を下に見る感情は全く湧いてこなかった。

使い古そうなんて滅相もない。

この学校というおかしな世界で,立場関係なしにうまく共生してこうぜ,という思いが強い。

そして,「どうか受かって,安定的な立場を確保してほしい」と心から思えた。

 

その講師らが単純に良い人ってのもでかいでしょうけど。

 

てか,そもそも正規採用かどうかで人との接し方を変える人(マウントを取りたがる人)って,めちゃくちゃ人として終わってるやん,と当事者的ポジションに立って思った。

そんなのでいちいち心が高ぶってる人って,

もう年々パフォーマンスが落ちてゆくだけだな

と思ってみたり。

 

実際問題,そんなおおバカなタイプが現場にめちゃくちゃいるとは考えにくい。だって,忙しさでそれどころじゃないし,そんな人間ばっかりの集団が一つの学校を回せるわけがないのだから。いても,一部。

 

となると,大学4年のとき,

「講師として働きたくない理由」が「バカにされる」だけだったなら,過去にもどって,「そんなことないよ」と言ってみるのもあり。

で,講師人生をスタートさせてみるのも,悪くない。

 

なんて,今だから言えるのかも。