時には独裁者であれ。
今日は放課後に学部会議があった。
月1で行われる連絡・協議会ですね。
16時から行われ,
ほとんどの場合,4,50分で終わる。
「どんなに遅くても17時(定時)には終わろうね」という暗黙の了解が,全体に共有されているからなんだろう。良い傾向っすね。ぼくは好き。
ただ,今日のは終了時刻が17時を過ぎた。
20分オーバーかな?
というのも,これまで指導の一環で,ずっと続けられていた教育的な活動を廃止するかどうかの話が持ち上がったからだ。
もう何年も本校で続けられているものです。
ただ,この活動が,教員の負担になっているのは明らかでした。
まず,授業時数にカウントされない活動なんですね。
それなのにほぼ毎日ある(10分刻みのスモールな)活動。
「教員が自主的にやっているサービス」
という扱いなんです。
確かに「塵積」的な活動で,
教育的効果はあるかもしれない。
ただ,それに対する教員の犠牲が,
まあまあデカい。
今はコロナ感染予防の観点から,
学校生活様式が変わってるのでいいんですが,ノーマルライフに戻して「では,この活動もしていきましょう」ってなると,休憩時間がかなり減るんですね。
教員も,生徒も。
そして,生徒もやらされている故,気分が毎回少し落ち込んでいる。
生徒自身,意味を見いだせていないわけです。
子どもたちのため,という教員の勝手な「推測・お節介」,そして「教員の犠牲ありき」という土台でこれまで成立していた活動だったわけです。
流石に「もう限界..」という教員の声が目立ち,今回,議題に上がりました。
ただ,この1時間半の話し合いの中で,最終的な結論というか,判決は出ませんでした。
(もちろんこの議題だけで90分もかかってないよ,他にも話し合ってるよ)
でも,流れ的には,
その活動の「廃止」の方向に向かうんじゃないかなと。
気がかりなのは,この活動を本当に大事に思っている先生もいるのは確か。その人なりに意義を見いだせているというか。
そういう点を考えると,「廃止」はなんだか残酷。
賛成派と反対派の両者を救う方法はなんだろうと思ったとき,シンプルに,システムさえいじればいいんじゃなかろうか,と。
このシステムの問題点は,「全クラスが同時(決まった時間)に始める」という工業社会的な考え方で運営されていること。
早い話が,
「やるやらないは,担任が判断する」
でいいんじゃないのかな。
生徒をどう納得させるかも含めて。
そういう案も実際出たんですが,
「みんながやることに意味がある」と信じている方もいて,すぐに「そうしましょう!」とはならなかった。
決してその人が悪いとは1ミリも思ってなくて,
結局は考え方の違いです。
それでこそ人間といいますか。
この場合,本人を根っこから変えることはできないので,最終的には管理職の判断なのかなと思う。
ぼくが好きな西野さんも言ってたな。
『強いチームのリーダー』の条件の一つに,
「リーダーは,時には独裁者であれ」って。
今,そのときなのかな。
管理職って,背負うもの大きいのね。