うまく繋がらない未来の教育

広域通信制教育 ×『学び合い』

が、実は頭の中でうま~く想像できていなかった。

なんかモヤモヤしていた。

 

広域通信制(N高とか)に通いながら、各自で学ぶ形式。

 

 

その世界での教師の役割については、どっかの機関やどこかのお偉いさんが提示しているものではなくて(というか、そもそもされていない?)、西川先生の考えではあるけど、なんとなくではあるがぼくの中では想像できている。

 

子どもたちの学習形態も、

わざわざ学校に行かないで最寄りの公民館とかで学ぶ

うんうん、個別最適化に必須だもんね、環境は。

 

うん、ここまではいいんだ。

 

でも、ちょっと待てよと。

「一人も見捨てない」を教師はどうやって子どもに語り、

根付かせれるんだ?

 

だって、場所は子どもたち自身で選び、学ぶわけでしょ。

となると、普段ぼくが授業でやっている声かけとか語りとか、そういったものが封印されてしまうわけで。

というのも、教師がわざわざ子どもたちの学習場所へ赴くわけにはいかないですから。

 

根本的に、子ども達の中に「一人も見捨てない」心をどうやって植え付けるんだ、と。

 

そういうことを今日のゼミで、先生に訴えました。

 

そしたら、いつものテンプレで

「『』で運営されているこのゼミで、俺がそもそもお前らに「一人も見捨てない」なんて言ったことあるかよ?」

と返された。

そして、

「今の俺がやっていることをやればいいんだよ」

ですって。

 

例えば

今やっている週1回、2週に1回で行われている、

ゼミ生が一堂に集まって悩みや疑問をぶつける学年ゼミ

 

やりたいことを先生に言って、先生のネットワークから

自分の目標達成の一助となるような人とつなげる人脈

 

そういうのが教師のメインの仕事になる。

 

その頃には、子どもが教師を選ぶスタイル(大学のゼミ制度に近い)が主流になっている。

 

だから、選ばれた人を週1くらいで集めて、

そこで「一人も見捨てないことの大切さ」を語ればいい。

もちろん取り組んでいる課題についての相談を受けながら。

 

んーちょっと落ちないなぁ。

明日聞こう。

西川研究室に入る人

西川研究室OBの方が、先生の還暦を祝う会でのスピーチでおっしゃったあの一言が、今でも覚えているし、これからも忘れない。

 

というのも、ここ上越教育大学は、実績のある豪華有名な先生で固められいる。

キャビアやロブスター、フカヒレ、フォアグラ、燕の巣..そういったものがふんだんに並べられた高級バイキングみたいな、そんな場所。

 

クラス会議や勇気づけで知られている赤坂真二先生もいらっしゃる。

 

赤坂先生の授業は何度か受けたことがあるが、本当に圧倒される。

巧みな話術、ズシンとくる内容、程よいギャグ、、

「この先生、すごい」

となること間違いなし。

カリスマ性があり、憧れる。

 

そのOBが、赤坂研究室と西川研究室に入ゼミする人の決定的な違いを教えてくれた。

「赤坂研究室に入ゼミする人は、赤坂先生になりたく(憧れ)て入る。」

と。

 

みんな「ガハハ」と笑っていた。

裏を返せば、西川先生に憧れて入る人はいないからだ。

ぼくも笑っていたけど、スッと納得していた。

 

「西川先生になりたい」と思ったことはどちらかと言えばないかもしれない(笑)

部分的にはあるが。

 

でも、先生が指差すヴィジョン世界に強い憧れを抱き、入ゼミしたのは間違いない。

 

あのユートピアに近づけるのかなと。

 

他の西川ゼミ生がこれに当てはまるかはわからない。

でも、何人かはきっとそう。

人間の相性、ICTの相性

連携校で使わせていただいているタブレット

6、7台あるのだが、なぜか充電コードは3本。

 それでも一回100%にすれば、ある程度使っても1週間は優に持つ。

流石です。

 

だから、うま~く交代制でそれらを充電している。

 

でも、最近気づいたのは、「どのコードとどのタブレットが接続悪い」、

という不仲説があること。

 

どんなに優しく、あるいは勢いよくぶち差しても、

例のあの右側に出る「充電してますよ」の印である緑の灯りがともらない。

 

「なんなんだこのコードは」と思いつつ、別のタブレットに差し込むと

「ファンッ」と音を鳴らし充電を始める。

 

ただの機械、されど機械。好き嫌いというか相性の良し悪しあるんだなぁと。

そんなとき、なぜかこれまでの授業・ボランティア等で担当してきたいろんな児童生徒の顔が浮かび、

ふと「あの子らの人間関係も、こんな感じだったんかなぁ」と

思ったりもする。

 

この世に人間関係ほど複雑なものはなくて、

万人に「相性が良い悪い」がある。

 

非難しているわけではない。

むしろそれはすんごい健全だと思う。

 

 ぼくが、

「なんでこのコードはこのタブレットと相性悪いんだよ!ほら!(ブスッ!)なんで充電されないんだよ!!」

と無理とわかっていながら差し込み続けるのは滑稽でしょう?

それと同じように、教室内で教師が「みんな仲良く!」を子どもたちに強要するのも本当バカバカしい。

万物には、「相性」があることを知ってしまえば。

 

友達100人なんて、作らなくてOK牧場

 

人間にはそれが無理なのは明らかなんです。

 

繋がれそうな人と繋がる、それでいいんです。