理想だけ語らせてくれ

『学び合い』のことを説明するとき、

ついつい

「『』(ニジュウカッコ)はー、」

と言ってしまう。

『学び合い』(マナビアイ)とは呼ばない。

 

そのたび、話し相手にもよるんですが、

「??」という反応をされてしまう。

 

で、後者の方で言い直す。

 

なぜ、そう呼ぶのかはわからない。

自分の周りの人(『』界隈)でそう呼ぶ人が多いわけではない。

文字数的にも言いやすさ的にも後者の方が言いやすいはずなのに。

 

あれか、ぼくの性格のことだ、きっと大多数のみんなと同じ呼び方をするのを避けるためにそう呼び始めたに違いない。

みんながマナビアイと呼ぶからあえてそうしたんだ。

なんともぼくらしい。

 

話は変わって、、

いきなりここで話をぶっこむが、

個人的には、「あれはOO教育で、これがXX的授業」のように、

『』が他の教育と区別されないのが理想。

説明が難しい。なんというか、「これが『学び合い』です」と名前が共有されているのではなく、考え方や雰囲気がすでにみんなに共有・浸透されている、そんなイメージ。

 

つまりは、自然と根付いているのが望ましい。

 

ここまでくると、『』の考え方が完全に広まっている状態なので、

「1+1=2は常識でしょ?」

とか

「1日は24時間である。」

というレベルの当たり前に値する。

 

宗教に近いかもしれないなこれは。

 

でも、そこらじゅうにある胡散臭い「一人も見捨てられない世界」を売りにしてる宗教とは違う、しっかり論理だてられた考え方だから、悪くないと思うんだが。

 

宗教というより、

人としてどうあるべきかが詰まった考え方

だから、責められる筋合いはない。

 

そんな話でした。

思想の板挟み

「どの教育方法が…」と言うつもりはない。

 

「子どもの幸せ」が教育のゴール地点だし、きっとどの教育も行き着く先はそこなのは重々承知している。

でも、そこに辿り着くまでの手法が、「本当にそれでいいの?」と思えるものがある。

 

考え方・価値観の違いが出るのも教育だからそれは仕方ないことだ。

例えば一つの山の頂上へ辿り着く方法は、

手足だけを使って自力で登る人もいれば、いろんな器具を使って登る人もいる。

サンダルとラフな服装というワケありな格好で苦労して登る人(これは2週間前のぼく自身の経験談)もいれば、ヘリコプターを使って楽に到着する人もいる。

ゴールは「頂上へ辿り着く」だから、

方法に関しては誰も何も言わない。

それぞれの方法があるし、「まずは私がどう辿り着くか」が第一に来る。

ヨソはヨソ、ウチはウチ

 なのである。

 

だけど、教育に関して言えば、

教師の存在は「多くの子ども」の将来に関わってくるから、

ぼくのなかではどうもそのヨソはヨソ、ウチはウチ思考ができないのである。ゴールは一緒のはずなんだけど、考え方が違うがゆえ、生じてしまうなんだかもどかしい不満が一つ。

 

あと不満がもう一つ。例えば、ぼくみたいな『』を信じてる者が、いざ教育現場に立ってやることと言えば、もちろん『』の実践。

今のところ、現場の雰囲気次第だが、「最悪」じゃない限り、一発目から導入するつもりであある。

「子どもの幸せ」を唯一実現できるのは現時点では『』しかないと思っているし、一刻も早く、という焦りもあるし。

だからと言って、現場の非実践者に「ほら!あなたも!やれ!」と強要するつもりは毛頭無い。

こんな変な教育に興味を持ってくれた人にだけ、伝えるつもりでいる。

ぼくはそんなスタンス。

 

でも、ある教育(ゴールは一緒だけど方法が180度違う)が、強制的に地区レベルで、「やりなさい」と押し付けてきたらたまったもんじゃないなぁと思った。それも「全校で」という条件付きで。

ゴールは一緒でも、そこに辿り着くまでの道のりが学術的にも臨床的にも、どうも納得がいかない実践を強制されたら…と考えるとムシャクシャして自我を失いそうだ。

 

この話が例え話かどうかはご想像にお任せしますが、なくはない話ですよね。

 

「こんな教育にひれ伏すのかぼくは…」と、イライラしてしまったのは一昨日のある講座での話。

 

とは言っても、まぁ、誤魔化すことはできるでしょう、人の目(視察団や同校の教員からの)を盗んで。

その実践:『』=6:4or8:2くらいでなら、ズル賢いぼくならできる。

 

でも、それはフルじゃない。キメラみたいな教育だ。

なんなら、余りにも考え方が違うもんだから、お互いの良いところが相殺されてしまい、良い方向には絶対向かないだろうな、と思う。

 

一昨日からそんなくっだらないことを考えてしまっている。

 

現場に立たないとわからないんですけどね。

 

でも万が一その場面に直面したら、その時は…。

制限で雁字搦めになるくらいなら、 その制限のない場所へ身を移すか、創るか...。

 

新たな情報摂取法

今日は未来の先生展2日目。

昨日よりは色んなところへ回れたと思う。

 

そこで気がついたのは、

色んな情報がえげつない量でドバァーッと溢れていたけど、自分の中にある思想がフィルターになり、必要としてるものだけを取り入れられた気がする。

 

キャパオーバーにならずに済んだというか、健康に良いビタミンだけを摂取したというか。

理科でいうところの、ろ過に近いイメージ。

 

今までなかった能力を開拓できた気がする。

 

そんな2日目でした。

 

ありがとう、未来の先生展。