ある少年の片思い秘話

 

遠い昔の話です。

当時一方的にある年上の女性に片思いをしていた弱冠二十歳の男の子がいましたとさ。

片思いと言っても、まあ、交流はありましたし、なんなら仲はかなり良かったそうです。

いわゆる「友達以上恋人未満的関係」。

 

あるとき、その女性は浮かない顔していたので、話を聞いてみたところ、友人・対人関係で悩んでいたそうな。

 

そしてその男の子の前でポロっと一言。

「どうしよう..」

と。

独り言に近い感じでつぶやいてました。

 

 

彼は自信・勇気をつけてあげたいという思い、

そしてどさくさに紛れて、ダメもとで好きという想いを伝えようと、

笑顔で、

「まあ、でもぼくがいるじゃないですか!(^^)」

と言ってみました。

 

返ってきたものは

「ん~..」

というどこか不満そうな微妙な反応でした。

 

 

「そっか、ぼくはこの人の眼中にはないんだ。」

と悟りました。 

そして「ぼくじゃダメなんだ」

と悟りました。

 

 もし少しでも向こうに、彼に対して想いがあるなら、

きっともっと、こう、なんだろう、

「ありがとう」に続いて何かが進展していたと期待していたのだろう。

でも、何も起こらず、

淡々と時間が過ぎていき、何事もなかったかのように

そのドキドキタイムは終わりました。

 

 

ある少年の、遠い昔の片思いの話でした。

 

部活動は恋愛プラットホーム

 

中学校・高校は、部活に明け暮れるってほどまで

部活一筋というか溺愛はしていなかったけど、

なんとなく楽しかった。

監督・コーチに支配された部活動ではあったけど。

 

(当時)好きなスポーツをできたこともあったけど、

恋愛にもつながっていたからだと思う。

恋愛というか、まあ、女性とキャッキャッできた

が、正解でしょうかね。

 

中学校のときですかね。

 

夕暮れになるとどの部活もだいたい終わり、

いろんな部活と鉢合わせする。

陸上部、テニス部、サッカー部..

 

その中に、当時好きだった子(厳密にいえば両想い)が混ざっていて、

その子を囲んでる他の女子部員が

「ほら~声かけなって!」

とぼくに聞こえるようにその子を冷かすというのが

日々のルーティンのようなものだった。

 

思春期だからクールぶって聞こえないふりして

その場を去っては、その子を弄んでいた(?)。

とは言っても、

内心、「恥ずかしいし俺の方からアプローチかけられないから

もっと向こうからグイグイ来いよ!」

なんて思っていた。

弄んでいたのはその子含めた女子集団であり、

弄ばれていたのは僕のほうかもしれない。

 

それでも、楽しかった。

 

あぁ、恋してる

アオハルだなあ

 

という感じだった。

 

恋愛のプラットホームは部活動であったこともあり、

昨今の部活動撤廃の動きに対して、心のどこかではちょっと寂しさがある。

 

そんなん授業でもええやん、地域のスポーツクラブでもええやん

なんて思われるかもしれない。

 

でも、「その子」「あの子」がそこにいるとは限らない。

 

あと、学校内の活動だけど、普段見れない姿、例えば、

トロンボーンがうまかったり、

足が速かったり、

ホームランが打てたりするという

特別な姿を投影できる場所は部活動な気がする。

そして、部活が終わり、達成感に満ちたようなあの、「特別な姿」と「普段の姿」

とはまた違う雰囲気を持った「新種の姿」は、格別だ。

 

同じ学校の「その子」「あの子」に授業以外で近づける方法は、

委員会活動やボランティア活動、学校行事ではなくて、

やっぱり部活動な気がする。

 

子どもの「主体性」、その部の「良い雰囲気」、無理のない「活動時間」さえ守られていれば、極論、部活動は存続しても良いと思う。

研究のすゝめ ~西川先生との対話を通じて~

 

昔、西川先生にぼくの論文(個人研究)を相談をしたことがある。

 

ちょいちょい難しいワードが出てくるから、基本スマホのレコーダーで録音している。

 

いろいろやることがあるけれど、

そろそろ個人研究も並行してやっていかねばなあと思い立ち、

そのときの会話を何気なく聞いてみる。

 

西川先生がゼミ生にされて呆れる質問はいくつかあるのだが

その中で顔がとろけるほど呆れるものは断トツで、

「じゃあ先生、何人にインタビューをとればいいんですか?

である。

 

研究を進めていく上で「インタビュー」は欠かせない(場合が多い)。

何もおかしくない質問だし、

ぼくが知っている過去の先生(教授)であれば、

「O~△人くらいかな」と親切にお答えしていただくことがほとんどだったから、こちらこそ顔がとろけてしまうほどビックリしたものだ。

 

まあ、耳にタコができるほど先生も何回も質問されたからなんでしょうけど。

 

先生の考えとしては、

「じゃあお前もし俺が『1万人』と言ったらその数のデータとるのかよ?」

だ。

 

うむ、確かに。

 

そして決まって続けてこう言う。

「論文を書き上げる上で、(調査)人数が多ければ良いってもんじゃない。

 アウトプットとして出てくる結果がチャーミングであれば良いんだよ」

 

人数的に少ないインタビューからより多くの情報を手に入れられるのならば、それでいいのだ。

 

ピアジェが我が子2、3人の観察データから歴史に名を残したあの発達理論を生み出した事例を考えれば納得ができる。

とは言ってもピアジェは非凡人(天才・優秀)だから

圧倒的に少ないデータからでもすごい結果を残せるのですけど。

 

凡人のぼくは、間違いなくデータの数で賄うんだろうな、と少し悔しさが残る。