全ての同窓会に参加する唯一の方法

昔は、そうだな、

だいたい大学3、4年生の頃かな。

カリスマ教師(一斉授業スタイルの)を目指していた。

シンプルに格好良いなあと思っていたんですね。

「この人の授業すげえ」て思われるような、

完全なる教師主体授業。

 

ちなみに一時期はマジシャンも将来の夢でした。

カリスマ教師と要素はほぼ一緒ですし。

 

でも、まあ、このは野望はとっくの昔に捨てました。

なんなら今は恥ずかしささえある。

「エゴが働きすぎやん」て。

人間って考え方、変わるもんなんだね。

 

ただ、もう一つだけ、昔からのくっだらない野望がある。

それは、

「人気者な教師であること」

 

生徒からいつも「先生こっち来てよ!」と

言われような、引っ張りだこ先生。

 

生徒に限らず、保護者や地域・企業の方々のような

いろんな人から言われたいんですけどね。

(そのくせメチャメチャ人見知りだから矛盾してるんだけどさ)

 

この野望は、25歳の今でも、

拭いきれない。

 

『学び合い』の考え方を知ってる者としてはあるまじき思考ですし、「教師が集団の中心になってはいけない」ということは重々承知してるのだけど、「そうは言ってもさ、、」と理想と現実が相反する。

 

この考え方は、

ぼくの中で死ぬまで変わらなさそう。

 

 

そういえば、

教師をやってる以上、

きっと生徒らの同窓会にぼくは呼ばれるはずなんですね。

ぼくが、「フリとかじゃなくて、同窓会マジで無理」と言わない限り。

 

でも、教え子っていうのは、

教師歴に比例してその数は増えていくばかり。

そうなると、ぼくが「みんなから呼ばれるような人気者でダンディな教師」であり続ける限り、顔を出さなければならない同窓会は増えていくのは容易に予想できる。

 

もし、『全て』の同窓会に参加するとなると、

金銭的にも体力的にも厳しいことは

火を見るより明らかなわけです。

 

人気者な教師を前提に、

そんなことを勝手に考えてたんですけど、

教え子と自分自身の需要を満たす解決策は一つしかないのかなって、ぼくは思います。

 

それは、

「ぼくは同窓会に呼ばないでね」

 

では決してなくて、

 

「みんなには『学び合い』という授業で育った共通点があるわけだから、学校とか学年とかコースとか関係なしにさ、みんなごちゃ混ぜの合同の同窓会開いてよ」って言うことなのかなって。

 

で、成人した教え子が増えていくごとに、

その巨大な同窓会員に加入すれば良い。

もちろん、入りたい奴は入るで。

 

 

それなら誰も損はしなくないすか。

 

教え子に関しては、

「ぼく」をお見えにかかれるし、

ぼくに関しては、

会が1回で済むから色々とありがたい。

 

いろんな出会いがあって、

めちゃ楽しいぞこれって思わずにはいられない。

 

まあ、ぼくが教え子の同窓会に呼ばれるような教師になってたらの話ね。