報連相を求められても渋る人の本音

「前もって自分に話してくれても良かったのになぁと思ってさ..」と、上司が部下に向けて注意とか嫌味に近いアドバイスをするときってあるじゃないですか。

 

例えば、上司の知らないところで物事が動いていたりして、不意にその事実を知ってしまったときとか。

 

そういうことをされると、人間はどうやら落ち込む。

 

自分を古い形のリーダー(中枢機関)と捉えた状態では、「なぜ全知全能であるはずの私がそれを知らないの?」と感じるのかもしれない。

古い形のリーダーって、簡単に言えば、トップダウン型タイプのこと。

 

めでたいことだったり、結果的にプラスなことだったりすると、「嬉しい反面、でもアノ私が今初めて知った」という事実と向き合わなければいけないから、複雑な感情になる。叱責なんてできるはずもなく、でもどうにもできないモヤモヤを晴らすためにボソッと本音を漏らす人、いるじゃないですか。

それが冒頭の言葉。

 

上司と部下に限らず、

監督とプレイヤー、先輩と後輩の関係でも

そういうことは起こりうる。

 

まあ、報・連・相を徹底させたがる人ですね。

 

でもそういう人に限って、相手からしたら、

報告・連絡・相談をしにくい場合が多々ある。

 

大きな事案(失敗が許されない、大きな責任が伴うもの)については報連相するんですけど、プライベートなことや些細な出来事(たとえ失敗し責任が伴っても全部自分でリカバーできるもの)については渋りがちだよね、報連相ってやつは。

 

1つの原因としては、報連相ができないその人自身(ここでは部下)に問題があるということは絶対なくて、報連相を強要する人(ここでは上司)のエラーだとぼくは思う。

 

「この人に話すと、すべてのことがいちいち大事(おおごと)になってしまうしなぁ」とか「話したところで最終的には言いくるめられて、自分の当初の提案とはかけ離れたものになるんだよなぁ」という不満をその部下が上司に持っていたら、報連相なんていう行動はそう簡単に行われるわけないんですね。

 

「この件は,,,責任大きそうだし、しとくか」という

かなり限られたものにしか行われない。

 

報連相ができない部下を正そうとするより、「報連相ができない部下」にさせてしまっている上司自身の接し方を見直した方が、即効性はある。

 

「他人を変えることに労力を割くくらいなら自分が変わったほうが早いよね」という常套句がオチでした。

 

 

報連相を強要する人は、ぼくの目から見ると「管理し過ぎる」という特徴があるから、そこを見直すのが第一歩なのかなと思う。

特に誰を指して言っているというわけではないけど。