偏見から生まれた感動
20部屋近くある3階建てのアパートに住んでいると、「見たことある人」「初めて見る人」の2タイプの住人に遭遇する。
「あ、あの人だ」という人。
「あんな人、ここに住んでたんだ」という人。
まあ、いずれも話すことはない関係性ですが。
「見たことある人」とは、「こんにちはー」というあいさつが月1回あるくらい。
それくらい薄いつながり。
そんな今日は、絶望的な豪雪ですべてを白で覆いつくされた駐車場をひたすら雪かきしていた。
駐車場に行くと、ぼくより先に雪かきをしている女性がいた。
髪の濡れ具合からだいぶ前から始めていたのだろう。
他の住人も駐車できるように、自分のテリトリー以外も雪かきしていた。かなり「真面目」な人なのかもしれない。
話してみると、「気さく」な方だった。
「意外にも」明るいひとだった。
あえて「」で強調して書いたのは、
その女性は見た目がなかなかイカツかったんですね。
派手な金髪とネイル、髑髏がプリントされたパーカー、車は車高が低く黒光り。
もう外見はかなり怖いんですね。
でも話してみると言葉遣いは大人で、表情も豊かだった。何より、「みなさんのために」という思いで考えて雪かきをしていた。
「人は見た目に寄らない」ってこういうことかって。
26歳を前にこれに気づいたのも無理はなくて、これまで「見た目に寄らない」人間と接する瞬間があまり多くなかったから、今こうやっていちいち感動しているのだと思う。
仮に、小~中の学生段階で、「見た目はチャラい/ケバイけど一緒に活動してみたら良い人だった」という経験をしていたら、今頃ぼくは、「ただ自分とは違った見た目をしている人と一緒に行動している」という思いしか湧かなかったはず。
もちろん「良い人だなぁ」と思いながら。
偏見で振り回された人生を送っていたなぁ。
「意外と良い人」という感情が良い意味で
湧き起こりにくい人間を育てたいという思いを
実は持っていたりする。