大丈夫と知りながら心配しておく。

生徒の数も減りつつあるので、

来年度から教員の数もがっぽり減る、

そんな規模縮小傾向にある学校に勤務しています。

 

どの教員がいなくなるのかなんて、

正直わからない。

 

継続勤務年数もあんまりあてにならないし、そもそもそういう教員の配置は、管理職以上の立場にある上層部が判断することですし。

 

平教員のぼくには、見当もつかない。

 

ただ間違いなく、ぼくはもう1年、

今の勤務校に残ることはわかっている。

 

でも、普段お世話になっている教員にいなくなられると、悩み事を相談したり、会議等でうまくフォローしてくれたり、いろいろと業務に関するアドバイスをもらえる機会が失われてしまうので、それが不安要素。

 

4月からは初の担任を持つだろうし、今とは別の新しい校務分掌を持つことになるだろうし、なんなら縮小傾向にあるから、いろいろな業務を掛け持ちをすることも十分あり得るわけで。

 

そんなこんなで、今から不安が募り始めている。

 

あ、そんなあれですよ、

「ぼくやっていけるかな..」

という女々しい気持ちは一切ないです。

 

25年間でいろいろと経験してるので、「結局大丈夫なのはわかるんだけどさ」という答えはもう出てるんですね。

 

例えば、1泊2日の旅行があるから家を出て車に乗りましたと。10分くらい運転していると、突然「あれ、冷蔵庫のドア、しっかり閉めてきたかな。」「最後、家出るとき、鍵しめたはずだよな。。」みたいな、ものすごく些細だけど重大な不安がよぎるときあるじゃないですか。まあ、ぼくはそういう細かいところは無茶苦茶しっかりしてるから、99%、結果的に大丈夫なんですが、とりあえず心配という行為は必ずする。

 

「心配すれば大丈夫」という謎の黄金ルールが昔からあって。

 

たぶん、その現象と全く同じようなことが、

今、起きている。

 

「大丈夫だけど、心配せずにはいられない」みたいな。

 

 

「なるようになる」ことを知っていながらあえて心配することで、落ち着きを取り戻す。だいぶ労力使うから、もう何年もこの儀式に嫌気がさしている。