露骨に芽生えたコンプレックス

『学び合い』全国フォーラム2021に参加しました。

 

タイムテーブルが充実していて、「あれもこれも見に行きたい」というセクションが同時刻に行われていた。

「どれをあきらめてどのセクションに参加しようかな」と贅沢に悩みながら、あとでアーカイブをしゃぶりつくように観ようと思っております。

 

ただこの会に参加していて、正直、劣等感のようなやるせなさも湧き起こっていました。

 

『学び合い』総本山である西川研究室を昨年の3月に巣立ち、「さぁ、これから!」と張り切っていた自分に県から言い渡された初任校は、まさかまさかのかなり小さな特別支援学校。

 

特別支援の免許ないのになぁ…

と思いつつも学校に行ってみる。

 

生徒数や生徒の特性から、

『』は一筋縄にはいかない、

というかできないかもと思いました。

 

それでも管理職に「こういう授業したいんですよね」とポロっと漏らした時期もあったんですが、「いま(コロナ下)の状況もあるしね~」と流されました。

時間が経つにつれて、

「ここにいる間はいいや。」

と思うようになりました。

 

新卒の自分が「これをやりましょう!」と積極的に授業変革の提案をし、仮にそれが叶ったとしても、それ以降で待ち受けている「特別支援教育の視点から,,」という異議・重圧に答え続けられる自信がなかったですし。

それにほら、2、3年という短い勤務校の在留期間、そして自分の性格を考えると、ただただ状況をかき乱して「余計なことしやがって」と言われるオチが目に見えていました。

 

新採が下手に動いて非難されるくらいなら、まずは同じ職員室内にいる教員と仲良くした方がいいよねという決断に辿り着きました。

あとは、一般的に「特別な支援を必要とされる」子どもたちと実際に触れ合ってみて、どんな感じなのかを学ぶことに徹しようという目標も立てました。

 

1年を振り返ってみる。

 

1つ目の「職員と仲良く」は、達成できたのかなと思ってます。自分が困っているとき相談に乗ってくれたり「ここは任せて」と守ってくれる同僚、中堅、ベテラン層との人間関係はバッチリっす。可愛がってもらってます。

 

2つ目の「特支の子どもたちの実態把握」も、自分の中で答えを出せました。

「見方を変えれば、この子たちには教師が考える『手厚い支援』なんていらないよね、まわりの人たちの考え方の問題に過ぎないよね」と、ざっくりだけど、その答えをここに書いておきますね。詳しくは会ったときにでも聞いてね。

 

 

一方で、『学び合い』の実践からは久しくなった。

 

『』の考え方は衰えていないのだけど、

『』授業の中で起こる、イラっとする瞬間、感動する瞬間、冷汗をかく瞬間、もどかしい瞬間、、そういった感覚が忘れつつある。というか、もうそれがなんなのか分からない。

実践しないでいると、

どうしてもそうなっちゃうのね。

 

だからあれだ、

セクションの中で行われる参加者同士の、

OOOって起こるじゃないですか?」

「わかる!そのときはOOするといいよね」

「こういうときはOOするとスムーズに乗り越えられますよ」

という対話が、なつかしさと同時に、「あぁ、ぼくがまだ経験していない体験をみんなはしているんだ」と、少しツラくなりました。

 

この感情は、「西川研究室出身」でありながら「『学び合い』を実践できない自分」という状況から生じるコンプレックスに過ぎません。

 

『』の有効性を知りながら

それをできないでいること。

 

『』のことを早く知ったのに、

『』を遅く知った人より実践の数が足りていないこと。

 

 

いろいろ、思うことあります。

 

一見、「空白の1年」に見えるけど、

あとで「あぁ、あの1年でかかったなぁ」

となるようにしていきたいですね。