先生が毎年処理に困る感情

一人の生徒が、別にすこぶる悲しんでるワケではなかったけど、先輩である3年生(もとい卒業生)がいないことに違和感を抱いていた。

 

「朝、学校きたらやけに静かだったけど、

 そっか、3年生いないんだもんなぁ」

なんてつぶやいていた。

 

「学校に早く来ても、3年生のOO君はもういないから、バス一本遅らせて行こうかな」なんてことも呟いていた。

 

確かにね、ただでさえ生徒数が少ない学校から、生徒がごっそり出ていったもんね。仲が良かった先輩がいなくなった今、彼には早く学校に来る理由が特にないもんね。

新入生が来るまでしばらくかかるから、

「それでいいと思うよ。」とアドバイスしておいた。

 

授業前にさりげなく嘆く生徒を見て、

ぼくも授業をしながら、

卒業していった生徒の存在を思い出していた。

 

器用でしょ。

 

ものすごくなんとも言えない感じ。

 

朝廊下に出れば、

階段近くの手すりに肘をかけながら、

職員や他の生徒を観察しているあの子。

「おはよう」って言えば、

声変わりが完全に終わった低い声で、

「おはようございます。」と

返してくれるあの生徒は、もういない。

 

たった週2回の授業でも、「生徒ー教師」としてはちょうどいいくらいの信頼関係を築けていたあの子は、この学校を卒業し、進学した。

聴覚障害を持っていることについて、自分の経験からいろいろと教えくれたなぁ。

 

これ以上、卒業生について書き綴ると、寂しくて空しくて、本当にどうしようもない感情の処理に困るから、ここで書くのはやめよう。

 

それにしてもあれだね、毎年こんな思いをしなければならない学校の先生は、幸せそうで、でも、心の中にぽっかり空いた穴を塞ぐのに苦労しそうだね。

 

おそらく夏休みとかに、

きっと彼らは学校に顔を出しに来る。

 

でも、もうこの学校の生徒じゃないから、「なんか違う」という違和感とも向き合わなければならないんだなぁ、先生って。