歳を取れば理不尽が降り積もる
「なんて不条理な..!」と、
憤りを隠しきれないくらいの言葉を
これまでに何度か浴びてきている。
まあ、そのほとんどは、最終的には隠し切っているんですがね。
ぼくはそういう性格ですから。
明るく笑ったり、時には神妙な面持ちで謝ったりすることで、数々の場面を乗り越えているというわけです。
26年生きてりゃ、
そりゃそうだよね。
というか、歳を重ねるごとに、人間にはいろんな「基準」が層のように積み重なっていくから、「別の基準」を目の当たりにしたとき、「!?」となる。
例えば、困っていた人に対して、
「なんであのとき助けてって言わなかったの?」
とか、
「困っている様子じゃなかったからてっきり..」
と事後に御託を並べる人に対してつくづく思うのは、
「あなたがそういう環境にしているからだよ。」である。
「『言いにくい環境』の要因を作り出しているのは誰だろう?」となぜ最初に自分を疑わないのかなと思う。
また別の事例だけど、
全くわけのわからない環境に放り出されて、上から降りてくるであろう業務を待っている人に対して、「自分で探しにいかないと。」とアドバイスを受けたところで、正直、「なんで?」となる。
どのように動きだせばいいかわからない人に対して、
「動け。」と言われてもどうも納得できないのである。
歩く仕組みを知らない赤ちゃんに、
「さぁ、歩いてみて。」と言ってみたところで
歩けるはずがない。
歩けるようになるための環境が整備がされていたり、「まずはね、こうしてこう」みたいな何かしらの外的要因がないと、何も始まらない。
それと一緒じゃないのかな。
何かしらのヒントがほしい。
今風に言えば、To Do リストとかね。
それさえあれば、始められる。
それなしで自ら動いたところで、
場合によっちゃ鬱陶しい存在になりうる。
例えば年度末なんて、上層部はてんてこまいで、
話しかけられる雰囲気はありゃしない。
そういう環境下だと厳しいよねと思うのは無理もなくて、ぼくだったらわざわざ自己犠牲をはかってまで動かないかな。
「そういう環境にしないために
ぼくには何ができるか」
と、管理職目線でこれからは見ていこう、
と、前向きな締めくくり。