お題は宿題、さぁ議論
外部の研修へ行くと、基本的には報告書を作成し提出しなければならず、そういうのは学校の外へ出ることから、「起案」と言って、主任や教頭、校長に見てもらい、添削を受けてからじゃないと提出ができない。
この起案という作業は、お互いにとって「時間食い」でしかないから、本当に重要な書類だけ起案するでもいいんじゃないかなと思ってたりします。
自分がむちゃくちゃ気を遣って書いた書面を、
かなり気を遣ってするダブルorトリプルチェック。
オリジナル版がない場合、
自分の言葉で、イチから作成しなければならない。
体力をものすごく使う。
書類(重要書類も)は、
自分以外の誰か2名に見てもらう。
そうやって大学院2年間は育ってきたし、
それを当たり前だと思っていたもんだから、
昨年4月当初は「なんじゃこの文化は!」と愕然としました。
実際その方法で、学校で行われている起案よりも、
ちびるほど重要な書類もやってこれたし、
なんなら選考等でも通過してるもんだから、
「なんで!」と鬱憤は溜まりますね。
そういえば今日、管理職の方と
宿題について、ちょっとだけ議論した。
ケンカ腰の議論じゃないですよ。
「宿題はOOっていうもんじゃないですか?」
という問いに対して、
「なるほど!でも、ぼくはそうは思わなくて、」
とか
「価値観の違いがここにはあるので何とも言えませんが」
という展開をしてました。
尖がってない反論だったと信じたい。
個人的には、教師側の「宿題ありき」の授業には懐疑的だ。
宿題がないと進まない授業、
というのでしょうか。
きっとそこには
「宿題をやってくれないと授業がスムーズに進まないから頼むよ生徒諸君」という教師側の圧力意図があるわけで、そこにしっくりこない。
「自分がやって(予習して)おかないと集団が前進しないのか」という生徒自身の気づきから行われる「授業外学習」に価値があるはずで、「これやってきてー!」という教師側のスタンスにはどうも納得できない。
まあ、少人数授業、ましてやマンツーマン指導だと
「集団」という概念がないので詰んでますが。
こことどう折り合いをつけるかですね。