ぼくには合わない、その考え方
上層部まで回さなきゃいけない書類ってあるじゃないですか。
基本的には学校の外に出る書類ですね。
「起案する」で合ってるかな、その行為。
起案と言えば。
例えば自分が作成した書類があったとして。
外部研修の報告書とかですね。
起案という工程でですよ。
締め切り間近な上に、ありがたいことに丁寧にチェックに時間をかけられてしまうことが多々ある。
外部研修ではあるけど、雰囲気的には重苦しいものではなく、むしろ楽しいもの。そこで課された報告書も、正直そこまで慎重にやらなくてもいい。というと、ちょっと語弊があるけど。「ラフな宿題」ですね、つまるところ。
「宿題は本気でやらなくていいよ、この研修の趣旨はそこじゃないから」という雰囲気があるのに、あるのにですよ。
校内の起案では、訂正がバンバン来る。
3~4回はやり直しがかかる。
言い換え、表現方法、いろいろと訂正される。
正直、ぼくには全く理解できない。
なぜ、「締め切り間近」+「重要性低め」なものに
ここまでチェックが入るのか。
ここに時間を割くくらいなら、チェックを入れる人は、もっと他に目を向けるべき課題があるはずで、もっと時間を割くべきではないか。
まあ、でも、「そういう課題」にも時間を割くんですが。
残業ありきでね。
「何事にも全力投球」を美徳としている働き方、
ぼくはちっとも美しいと思えない。
「丁度いい具合のサボり」を知らない働き方、
ぼくには考えられないなぁ。
なぜ、ズルができないのか、てさ。
なんて考えているぼくの思考回路も、
その人たちには奇妙に映るのかな。
まあ、人間てそういうもんなんだろうけど。