ワクワクしない原因はそこにある
特別支援学校では、「個別の指導計画」や「個別の教育支援計画」といった、通常の学校では聞き馴染みのないものを、担任や教科担当者がメインとなって作成することとなっている。
まあ、いわゆるなんだろうな、格好良く言えば、「個人成長計画書」みたいなもんで、キャラクターを成長させる系のゲームや、無名時代のBTSを世界的にヒットさせたマーケティング戦略と、根本は一緒だと思う。
「どういうアプローチ(教育)をすれば、この子は目標とするこの姿まで育つか」について計画し、それを文字化した、年間の指導計画書なわけですが。
また、特別支援学校には必ず存在する教科で、
「自立活動」というものがある。
基本的には各教科で子どもたちの成長を目指すわけですが、「指導計画」に書いた内容を最も実行しやすい教科なのかなと思う。
数学は数学の内容をメインに、教師がアシストしながら教えるけども、この自立活動は、「さあ、君の苦手に取り掛かろうか」という印象がある。
もちろん特別支援学校によっては事情が変わってくるので、一概には言えないのですが。
自立活動についてはまた今度書きますね。
今日書きたいのはこの指導計画について。
これが個人的には厄介かな、かなり。
「やりがい」や「楽しい」の源泉であるはずなのに、煙たがられている印象があるし、なんならぼくも正直なところ、苦手意識がある。
「人の成長を間近で見ることが好きな人」が教師になるもんだと勝手に思っているぼくとしては、まだ始まってすらいない前段階の「計画」そのものが、一番楽しい時期と感じている。
というかだいたいそういうもんじゃないかな。
「旅行計画が楽しい」と感じるのも結局はそこだから。
でも、この指導計画になると、そうならない。
理由はいくつかあるけど、
思いつくことを列挙すれば2つ。
1つは、「計画はこうあるべき!」という要素が、どことなく強い印象があるからかなぁ。
自分で計画したところで、結局は上層部から訂正される。
自分がワクワクと生徒の成長戦略を打ち立てたところで、起案の段階で「なんか違うよねぇ」とバッサリカットされる。
上の世代の「私たちはこう考えている」が強く反映された計画にならざるを得ない、そんな雰囲気がある。
でもそれを受け入れないと次に進めないから、諦める。
まあ、生徒が「人の子」であることを踏まえれば、「冒険は控えて、当たり障りのない指導計画を立てる」方向に向かうのも、システム上しょうがないのかなとも思える。
それに「ここはこういう文言で」という細かいルールも、やる気を削ぐ要素となっているのだけど。
行きすぎた管理システムが1つ目の原因。
2つ目に、「職場にワクワクできる雰囲気がそもそもないこと」が挙げられる。
この計画、担任がメインで作るのだけど、
起案するまでは一人で思い巡らし、考え、文字にする。
もちろん会議等はあるのだけど、
どこか形式的過ぎて、おもしろみがない。
孤独はちょっと言い過ぎだけど、
でもワクワクする要素がないに等しい。
それにほら、考え抜いたところで
「どうせ訂正されるんだろうなぁ..」という不安が隣り合わせですし。
担任とか関係なしに、みんなでカジュアルな環境で、「それいいねぇ!」なんて言いながら一緒に作れたらまた変わってくるのかな、なんて思いながら。
もちろん「教育観」て十人十色なもんで、話のルールを無視して、自分の意見を押し通そうとする人がいると、雰囲気が悪くなるので、そこは折り合いをつけて話す必要がありますが。
そんなことを思ってみたり。
結論としては、環境整備(システム管理)が重要で、
そこを司る管理職によって良くも悪くも働くよねって話。