無意識的に阻害する学校
職業上、誰かの深刻なバックグラウンドを知り、でもその本人である誰かが無邪気に笑っているのを目の当たりにすると、「こいつもいろいろと大変なんだなぁ」と泣けてくる。
顔には出ないけど、心から泣けてくる。
なんか、ブワーと、心理的に溢れてくる。
ぼくがこの教師という職業についている限り、
これから何百人、何千人、もしかしたら数万という教え子がこの先で生まれるわけで、いろんな人のバックグラウンドを知る。
そのたびに心を痛めるのだろうな。
そして、
「ぼくがなんとかしてやりたい」という正義感と、
「ここから先へ踏み込むと自己犠牲だよ」というタブー
に板挟まれ、悶悶とするのかな。
いずれそんな心も麻痺して、
「仕方ない」で片づけてしまうのだろうか。
なんてドライだろうか。
そういう意味では教師は無力ということを自覚して、だからこそ生徒に必要なのは「多種多様な人的ネットワーク」なのかもと、身をもって知り始めた教員2年目。
その人的ネットワークを、無意識に悪気なくカリキュラム的に阻害している学校も、だいぶ罪デカいとは思うけど。
夕飯の鶏もも肉の野菜炒め、
ちょっと塩が足りなかったなぁ。
やけに味が薄い。