授業前のあいさつ不要説

学習発表会の係のうちの一つとして、

ステージ発表前に鳴らすブザー係を任されている。

 

これから始まるよってのを知らせるために、

「ブ―――――ッ」と体育館中に響き渡らせるブザー。

 

カーテンで外の光を遮っているため、

ものすごく暗い体育館。

 

あの瞬間、例外なく、誰でもみんな、

ワクワクドキドキのあの高揚感に胸を躍らせる。

 

「今から特別な時間が始まるんだなぁ」と、

背筋を伸ばし、静まり返る。

 

始まりの合図って、ものすごく大きな力を持っているなぁと思う。人々の意識を変えるというか、OFFからONに切り替えさせるというか。

 

でも、この不思議な感覚も、

慣れてしまえば何も感じなくなる。

 

ブザーと暗闇の最強コンボであったとしても、少しずつ高揚感は薄まっていき、胸は高鳴らない。

 

これと同じ現象だと思ってるのは、

授業前のあいさつ。

 

毎日毎時間行われていれば、

意識なんて変わりやしない。

慣れちゃうんだもん。

 

あいさつのとき静かになるとしても、

あれは生徒の演技。

学校におけるあいさつは、

形骸化してるとぼくは思っている。

 

たった5秒程度のものに、

そこまで期待していない。

 

瞑想30分とかなら話は別だけど。

 

ぼくはそんな考え方だから、授業前のあいさつ、あと終わりのあいさつもか、新採1年目からやってない。一部の生徒を除いて。

 

一部の生徒っていうのは、

初回の授業で「ぼくそういうのいらないよ」て言っても、

その次の授業で自らしだすもんだから、ズルズル今も続けているだけ。