裁量権の分配をすればいいじゃない
勤務先の管理職を観察していると、「最終的にはこちら(管理職)で目を通して、Goサインを出す」という流れができていることを確認できる。ほら、「起案の行方」ですよ、つまるところ。
でも、そういうもんなんだろう、組織ってのは。
殊に、学校に関してはそういうところは慎重じゃないとダメなのかも。
ただ、管理職があまりにも「最後の砦」を請け負うばかりに、本当、手を余しているなぁ、と。
あれもしなきゃ、これもしなきゃと、
日々、てんやわんや。
同情するくらいしかぼくにはできない。
だって、「何か手伝いましょうか?」は「いやいや、これは管理職の仕事ですから」だし、「思い切ってこうしてみたらどうですか?」というアドバイスをしても、「これはこういうもんだから」で相手にされないでしょうし。
もっとこう、思い切って、業務(裁量権)を全体に分配してみたらいいのに、て思うわけであります。
常に目を光らせなきゃいけない業務って、実はそこまで多くないと個人的には思います。なんというか、たとえミスしても大したことないものが多いような気がするんです。
そういえば、多くの裁量権を管理職が握るばかりに、いろんなことをいろんな教員から質問される場面がまあ多い。
ぼくはそういう状況をなるべく避けたいから、やっぱり「裁量権の分配」はしちゃうだろうな、もし管理職になったら。
当たり前だけど、質問される時間が多ければ多いほど、自分が本来取り組まなければならない業務は後回しになるわけで、それって正直しんどいですよね、ぼくなら生理的に無理です。
エンジニアを対象にしたある調査で、そういう「誰かに構わなきゃいけない時間」が突発的に起こる組織では、エンジニアそれぞれが多大なストレス、疲労困憊を抱え、そして仕舞には生産性が下がるという悲惨で本末転倒な結果が出てたそうな。
早い話が、自己犠牲ゆえにノルマを達成できるか危うい、そんな環境。
でも、「静かにする時間帯」と「人と交流する時間帯」を、その組織の中にみんなが守るルールとして導入したら、3分の2以上が生産性アップしたって話がある。
そういうのを勤務先に設けたら、今よりはなんか変わりそうなんですがね。