余白ってやつは厄介でして

自家製のアイスクリームをタッパーに入れる。

かなり余白ができる。

丁度いいサイズの容器がないのだから仕方ない。

煮え切らない感情を押し殺して冷凍庫に保存する。

 

本棚にスペースができた。

本とは関係のないものを詰め込んで、

変わった満足感に満たされる。

 

人間て計画になかった余白が生まれると

モヤモヤしたり、それを埋めようと必死になる。

 

無駄なものでとりあえず埋めてしまう本能が働いているのだと思う。

脳の仕組みに「空白の原則」てのがあるらしいので、どうやら初期設定(生まれてくる)の段階で組み込まれているのね。

 

イノベーションとかアイデアが生まれてくる瞬間て、脳がスッキリ、つまり空白のスペースがあるときなんですって。

脳がその空白を埋めようとして、

過去の実体験、見聞録、考えていることがうまい具合に融合して、新しいものが生まれるとか。

 

そういう点では、

脳自体は常にスッキリしていた方がいいのかもね。

 

物理的な道具に関してはどうだろう。

それこそ冷蔵庫とか。

 

スペースがあればあるほど、

ぼくはどうしても埋めようとしてしまう。

 

「なんかあったときにこのギュウギュウに詰め込まれた食料がなんとかしてくれる」という安心感だったり、「隙間がないってなんかええやん?」という見た目だったり、そういうのが自分自身を満足させる。

 

賞味期限が切れるというリスクを省みずに。

あればその分だけ食べる=太る、という未来の結果を省みずに。

 

 

教育もそうじゃない?

あるなら使おう!が働いてる気がする。

使わなくてもいいものを生徒に使わせる、

そんな最近の学校事情。

 

予算が余ってればなんか買いましょう、と

「別になくてもいいもの」を買ってみたり。

 

仮に返納したら予算減らされたりするのかな。

それとも何も買わないで返すくらいなら、学校にそのお金を違う形に変換して享受した方がマシという考えが先行してるのか。

 

「教育的結果」と「予算の返納額」でその学校を評価する体制をとればいいのに。