「石の上にも3年」とこの2年を振り返って

今日はさくっと大学院の時の同期と会って、ちょっとだけお話をした。

 

昨年まで「ここじゃなかったのかなぁ」と理想と現実の狭間に挟まれ、一時期は「辞めるのも時間の問題」と話していた彼女だが、「次年度はなんだかいい感じになりそうで、ワクワクしている」とのことだった。

 

羨ましいなあ、と心底思うばかり。

我慢したから辿り着いた境遇なのかな。

ナイス忍耐!

 

一方で、ぼくはと言うと、

特別支援教育に携わって今年で2年目。

そして、もうちょっとで3年目に突入する。

 

異動がなかったんですね。

 

大学院で学んだ「授業方法」を活かす場面がないままこの調子で3年目に突入かぁ、というのが正直な思い。

 

生き方とか考え方とかは健在で衰えることはないのだけど、『学び合い』とはどんなもんかを、今度は学生ではなく「教員」という立場で実践することができないでいる自分が、なかなかにしんどい。

 

「現場に出たら様子見ながらではあるけど、バリバリ『』やりますよ」と豪語していたあの頃が、今はどこか遠い昔のようで、なんだかやるせない。

 

特別支援教育という考え方が自分には合わない」というのが、初任1年目を終えたばかりの頃と変わらない。

生徒に対して教師が特別に支援する、というのがぼくにはどうもミスマッチで、「その主体は教師かい!生徒を巻き込まないのかい!」といっつも思ってます。

 

支援支援言うけども、ぼくには普通の子にしか思えない。一般的に欠けていると思われている能力があるがゆえに「障害児」とカテゴライズされているけど、社会全体に蔓延っている考え方にエラーがあるだけなんですね。

 

「配慮」で済む話っす、ぼくにとっては。

 

それでも目の前にいる生徒との時間はやっぱり貴重で、月並みだけど「改めてかけがいのないもんだなぁ」と思ってます。

子どもたちを否定する気は全くなくて、「特別支援教育」という文化・価値観に馴染めないぼくのヒューマンエラーというか、文化的ホメオスタシスエラーなんですけどね。

 

「石の上にも3年」なんて言うもんだから

もう1年、様子を見てみよう。

何も変化を起こせなさそうなら、「環境の生き物 ニンゲン」として、思い切って進路をグインと変えてみるつもりでいる。

「3年」の末に得た成果が期待のものでない場合」に備えて、今から動いてはいるのだけど、避けたいところが本音。

 

そういえば、「石の上にも3年」の「3年」って、合理的な理由はないんですって。「ある程度長い期間」を3年で表しているだけっぽい。

いやでも3にはどこか特別な理由を感じるね。

ある意味マジックナンバーだね。