背骨みたいな主務者にはなりたくない

大学生の頃の友人から

結婚式の招待があった。

 

 

以前行われた自分の式に招待していた友人のうちの1人。あ、そうそう、コロナ禍ではあったけど、小〜中規模の結婚式やったんすよね実は。

でも、都合により彼女は来ることができなかった。

 

お金にケチ臭い自分なだけに、「ぼくのは来てなかったけどね!」と、ご祝儀のことについてがめつくてマイナスな感情が表出するかと思いきや、そんなことはなくて、「もちろん」「喜んで!」の二つ返事で承諾した。

 

シンプルに彼女のことは友人として好きだし、他人の結婚式を楽しみたいのだと思う。

ご祝儀貧乏になる頃にも、そんな気前の良いことを言えてたらいいのだけど。

 

でも、ですよ。

 

朝、学校に行き、令和4年度の年間行事予定を開くと、その日にがっつり学校行事が入っていた。そして、まだお声はかかっていないけど、おそらく自分が主務者になると思う。

 

あちゃー。

 

思い切って年休で休もうかなと思ったけど、なかなか気が引けるもんでして。

 

小規模校だから先生の数も適正化され、少ない。

 

いや、休めなくはないのだけど。

度胸試しと捉えれば。

 

ただ、やっぱり、

主務者だとしたら、

なんて考えたら、そりゃ、ね。

 

きっとこのコロナ禍だから、

午前中に終わる行事だ。

 

無事終わったのを主務者としてこの目で確認したら、後片付け等は残っている教員に任せ、自分は車に飛び乗り、ビュンと高速で3時間かけて赴くのも、悪くはないプランだ。

 

式にはギリギリ間に合う形で到着、か。

 

考えさせられるもんですね。

 

でも、毎回、いや、こういうときだからこそ思うのは、「主務者なしだとこの組織は動けないのか?」である。

 

そんなこたぁない。

20代の若造なしでも、

間違いなくこの組織は動ける。

 

さっき教員数少ないとか言ったけど、ぼくからしたらあと数名削っても行事はどうにでもなる。

そんなもんだ、何事も。

 

「30名で機能させる」と具体的な数字を盛り込むからぼくたちは「30名で」きっちり行動しようとする。

 

本当は削っても回るんだ。

 

それと一緒で、「主務者がメインで動く」という概念さえ取り払えれば、組織ってのは指示待ちビトを激減させ、それぞれが考えて動くようになると思う。

 

なんてことを上層部に力説してもきっとわかってもらえないでしょうけど。

 

さて、どうしよう。