本質から外れている運動会という学校行事
運動会シーズンですね。
ぼくの勤務先も近いうちに運動会があり、そのための練習だったり予行練習があったりで、全てのコマを短縮授業にしてる分、楽になったかと問われれば、そんなことはなくて、本来は空きコマのところに運動会の練習が入っていたりしてるので、so-soて感じです。
そういえば!
運動会って本当変ですよね。
「生徒が心の底から楽しめる」ようには端から設計されていなくてですね、「通過儀礼」「伝統」「保護者のためのショータイム」、そういったものが優先的に満たされるように、子どもたちを指導しているんですね。
だから果てしない練習とか設けちゃうんです。
あくまで本番を意識した予行練習とかね。
今も昔も、そういった行事のスタンスは変わらない。
生徒のためを思った行事なら、わざわざ特別日課を設けてまで大々的に練習なんかしないっすもん。
ラウンドワンのスポッチャ、ボーリングとか行ったらわかると思うけど、あれってわざわざ練習しに行ったりしないじゃないですか。
その日ぶっつけ本番で勝負するからこそ面白いわけで。
まあ、ボーリングなら「1ゲームは練習で、2ゲームから本番ね」と、そういったスモールな練習は挟むくらい。
いずれにしても、「生徒が心から楽しめるようには設計されていない」のが学校行事で、その代表格が小学校や中学校の運動会っす。
高校はどうなんだろうね。
ぼくが高校生だったころは、
教師に強制されることなく、生徒たちで「ちょっと練習してみようぜ」となってたけど。あれはあれで、好きだった。
そもそも論だけど、
学校行事に先生が介入し過ぎ。
「生徒が創る」にコストを割くべき。
特性上、生徒だけではその領域にいけないのなら、せめて、運動会に蔓延るお堅い要素は抜いてあげてほしいものです。
国歌斉唱とか校長あいさつとか。
で、それこそ、練習要らずでぶっつけ本番の競技にするべき。
本来は楽しいはずの運動会に対するモチベーションが下がりつつ生徒を見て、ふと思う。