やっぱり研修中の協議は好きになれない

外国語科の外部研修に1日参加してました。

教育委員会主催のもので、一応、全校種対象の研修。

小中高特と、幅広い研修。

 

特別支援学校村の自分は今のうちに高等学校村の先生らとつながっておけば後々楽かなぁと思いまして、参加申込をしました。本当はこういう研修は1mmも興味ないんですけどね。Youtubeとかネットサーフィンの方が得るものが多いし、効率的ですし。

 

結果から先に申し上げますと、

目的としていたつながりはできませんでした。

 

顔と名前くらいはちょびっとだけ覚えてもらえたのかなとは思います。

 

ぼくもお話しした人の顔は覚えました。配布資料で名前を見れば、見事「顔と名前の一致」は果たせそうです。

まあ、短期記憶ですから、記憶できても数日程度でしょうか。

 

意気投合した人は残念ながらいません。

午前中に協議した人(小学校教諭)とは、教育以外の話で盛り上がったのですが、午前の部後半からは別の協議グループに分けられてしまい、それ以降、話すことはありませんでした。無念。

 

講義ベースですが、要所要所でグループ協議があった研修。

全部で4種類程度のグループ協議をしました。

メンバーを替えて、です。

 

マイノリティな考え方(『』の考え方)をする自分は、大っぴらに持論というか理論を展開できない境遇にあり、ものすごく、フラストレーションが溜まっていた。

 

「なんでタブレットありきの授業なんですか。生徒が使うか使わないかを選べないのっておかしくないですか?」

「なんでみんなが同じ内容を同じタイミングで学ぶんですか?」

 

みんなの前提条件が自分の前提条件と違っていて、戸惑いました。

いや、当たり前なんですけどね。

そういう意味では、大学院の頃は、「前提条件が一緒の人たち」に囲まれて話をできていたから、幸せだったなぁ。

 

いずれにしても、良いたいことが言えなかった。

本当は、「根本的に違ってて、」と話したかった。

でもそれをしちゃうと、

時が止まるじゃない。

 

「この人、何言ってるんだろう?」ていうあの空気が耐えられないし、なんだろう、一周回って尖がろうとしてる人に見られて、イタイじゃないですか、きっと。

 

そういうのは他でやったほうが絶対いいですもん。

少なくとも、ここじゃないな、と。

 

形式的な議論の中では、

自分の真意を伝えることは不可能だなと序盤で気づきました。

ましてや話すのが下手な自分は、その空間に大きな誤解を生むだろうし。

 

この研修が、時間制限や変なルール、形式に捕らわれない「自由な対話」が許されていたら、、なんて終始思い続けた1日。

 

そもそもベースとする考え方・教育観が真逆の人たちと、制限のある中で協議するのは、自分は本当に苦手なんだなぁと思わされる1日でした。

言いたいことをオブラートに包んで相手に伝えれない自分に鬱憤が溜まって、居心地が悪かった。

 

こういう任意の研修は

しばらくは不参加でいようかしら。

 

気が向いたら参加。

それでいい。