現職派遣かぁと遠い未来のことを考えてみる
どの学校にもあると思うけど、校内の教員だけが見ることのできる連絡サイトがあるじゃない、パソコンの中に。ほら、ネットの校内掲示板というのかな。
生徒指導部や教務部といった分掌、運動会実行委員会といった行事の委員会、管理職からの連絡等を確認できるサイト。
毎日開くのだけど、年に3回くらいの頻度で、管理職から「OO大学 現職教員研修生の募集について」というお知らせがくる。
現職派遣ってやつですね。
現職の先生は、ぼくが数年前に在籍していた大学院のコースにもたくさんいました。所属ゼミにも個性のある現職2名が在籍していて、むちゃくちゃいい経験をさせてもらったし、質の良い知見も得られた。あの現職2名とゼミの中で関われたからこそ、「自分のことがそこそこ好きな今の自分」があると考えると何とも感慨深い。
ありがとうございますね。
さて、現職派遣は、
ぼくの場合はどうなのだろう。
この先、応募することがあるかもしれない。
半年〜1年というものもあれば2年のものもあって、「多忙から逃れたい」とか「マンネリ化した日常から抜け出したい」、あるいは「新しい知見を得たい」という欲がこの先出てくれば、十分あり得る選択な気がします。
ぼくの場合、教育の修士号が2つになっちゃうのか。それはそれで良いけど。
「でも、どうかしら」とも思う。
数年前まで大学院で学んだ事が教育の源流だと(勝手に)思ってしまっている自分には、他の大学が提供する研修プログラムや教育カリキュラムが、口が悪いですが「変化球をやたら使いたがる3流ピッチャー」に見えてしまう。でもこれ以外の的を得た表現が思いつかないのも事実。
表面でしか捉えてないからそう見えるのもしれませんが。
新しくやってきたテクノロジーに目が移ろい、ただなぞっては、「これが教育だ!」と豪語していて、でも大事なものが見えていない、そんな感じの教育で溢れているような気がするんです。
教育って、そんなゴチャゴチャしてないよ、教員のエゴが強すぎるよ、もっとシンプルでしょ、ってぼくは思います。
それに、大学院生の頃に読んでいた本のカテゴリーとは毛色が変わった本を読むようになった昨今。良い意味でも悪い意味でもひどく捻くれたのもあって、余計にそう思う。
「利権が絡んでるからそういう動きをするんでしょ?」という冷め切った見方をついついしちゃう。
話をちょっと戻して。
ぼくが大学院で得た「考え方」以上のものにこの先出会うことがなさそうな気がするんです。直感的にね。
「これが答えだよな」と真理の扉を開けたつもりでいる。あくまで自分の中では、の話。
自分が「井の中の蛙」てことも十分あり得ますが、その可能性は今はいったん置いといて。
そんなもんだから、仮にどこかの大学に現職で派遣してもらったところで、「ただの蛇足じゃないか」「体裁を整えただけのこの教育のどこが良いのだろう」というフラストレーションに苦しめられるような気がする。
と書きつつも、広い視野で物事を見つめるのは大事ですからね。
ただ、「やっぱりな」となるオチが待ち受けていることも十分予想できているのに、時間を割くのも変な話ですよね。
なんて生意気なことを書き綴る。
未来のことなんてわからないのにね。