日常の素面

たまに素面になるときがある。

お酒を飲んだ後、不意にやってくる「素面」じゃなくて。

 

でも、お酒でみんなが浮かれている中、パッと何かに目覚めて、状況を達観するときの、あの感覚と似てる。そういう感じの素面が日常で起こる。

 

例えば、食って、寝て、家族と安全に暮らしていくことが遠い昔では幸せとか平和だったはずなのに、今では、生き方や働き方、恋の仕方、暮らし方、ありとあらゆるものにまでいろいろと装飾が加えらているじゃないですか。

 

こうするのがイカしてますよ、みたいな、「模範」を追い求めているような感じ。

 

ファッションもそう。

 

布切れ1枚で過ごしていた時代があったはずなのに、今では「おしゃれ」という概念ができて、カラーの組み合わせ、重ね着、シルエット、いろいろな要素が絡み合っている。

 

シンプルだったものがすごく複雑になってきていて、でもそこに生きがいとかを見出していて。

 

自分でもよくわからないけど、自分を含め、現代の敷かれた万物の上で奮闘している人を見ると、なぜか急におかしく感じて、わらけてくるんですね。

 

人間てとことん成長とか進化とかを求める生き物で、いろんな娯楽を生んでは一喜一憂して生きていくんだなぁという、とりとめのない思考が、不意に駆け巡るんですね、自分の中で。

 

そこにはディスりとかそういう感情は一切なくて、子どもがわけもなく、ひたすら石ころを蹴って転がし続ける、あの感じと似てる。

悪気がない、純粋無垢な、あの感じと。