自分でコントロールできるから負担軽減
人間は自分の管轄外で、コントロールできないことに1番ストレスを感じるだなとつくづく考えさせられる帰り道。
ちょっとお下品な内容になりますが、悪しからず。
今日はちょびっとだけ残業(させられま)して、でも早く帰りたいから事が済んだらすぐに荷物をまとめて職員室を出た。微妙な尿意を携えて。
車を走らせて10分。
「あ、これ地獄だな」
とすぐに悟りました。
人間生きてれば、未来の尿意レベルを察知する能力がつくわけで、その時点で「たぶん3,40分後ピークだな」と悪寒が走りました。
帰り道は1時間。
家に着くまで残り10分というところで地獄を見るだろうなと。
案の定、そうなりまして。。
けれどもコンビニ等には寄らず、なんとか持ちこたえました。
それができたのも、自分が車のハンドルを握っていることで、いざというときの決定権が自分にあったことがでかいのかなと。
あと、「この道のこの信号にひっかかるだろうから心の準備しておこう」とか「この信号に引っかかってたまるか!」というちょっとスピード出してみたりと、何かと調整ができることで、ストレスを軽減できる。
でも逆の立場だったらどうだろう。
状況をいかようにも変えられる運転手が他者だったら。
きっと、問題の所在が他人事だから、ぼくはいろんなものと戦っていて、精神をすり減らしていたに違いない。いや、ほんとに。
ここから教育の話につなげるのもなんか申し訳ないですが、でも、担任とか副担任の関係性もこれに近いんじゃないかしら。
クラス運営主務者の担任。
そして副操縦士の副担任。
関わりの密度は担任の方が高いわけで、副担任によっては「私ならもっとこうするのに!」ともどかしさと苛立ちを感じるはず。
そういう意味では主務者は分散させた方がいいよね、と思ってみたり。
尿意から教育に話をつなげて失礼しました。