共感できる要素がそこにあるならば

妻が東京に遊びに行くというので、駅まで車で送ってあげた今朝。朝7:30でした。

 

昼前に用事が入っていて、このまま家に帰るのはなんかダルいなぁと思い、コメダで2時間程度コーヒーを飲みながらKindleで読書。

 

コメダってモーニングセットがあって、コーヒーを一杯頼むと無料で分厚いフワフワのパンが付いてくるんですね。知ってたような知らなかったような。

 

いくつになっても「無料」に弱い自分は、普段はとらない朝食をとってしまいました。ま、うまいからいいんですけどね。

 

ただ、朝なのに胃に何かあるのは違和感でしかなく、消化を促進しようと近くの大きな公園へウォーキングに。

 

週末ってこんなにも子連れが多いもんなんですね。なんとなく想像はついていたんですが、実際来てみれば多いこと多いこと。

あと、少年サッカーの練習試合がグランドで行われていた。

コートではテニスにはしゃぐシニア層も見られた。

 

満喫してますね。

 

 

散歩してると、遊具に多くの親子が群がっていました。

子どもが遊びたいというから遊ばせ、それに付き添う親、なのかな。

 

自分に将来、子どもができて、公園で遊ばせる適齢期ってきっと来ると思うんですけど、ぼくのことだから、「いやだなぁ」と思うに違いないなぁと。

 

理由はシンプルで、人混みが嫌いなのがまず一つ。

だから、「最近できたOO」にはほぼ絶対行かない。

世間の熱が冷めてから「そろそろ行こか」となる。

 

もう一つは、

みんなと同じものを欲している自分が嫌いです。

 

みんなが望むものを自分も望むと「ぼくはただの凡人」になるのか、と冷めてしまう自分が昔からいて、だからみんなとは違ったことをついついやってしまい、変わり者と言われることがしばしば。

 

変わり者であり続けたいという気持ちもあれば、心の底からおもしろいと思えないというのもあり、なんだかよくわからないっす。

 

もちろん、みんなが欲しているものに対して自分も「わかる!」とか「大事だからね!」という気持ちといいますか、共感ができれば、ぼくもその群衆に混ざる。

 

ただ、そうなるものがまあまあ少ないってだけの話で。

 

たまに流行に乗れないのはきっとそういう理由から。