不登校は当事者がヤバさを感じないと何も変わらない

登校を渋る生徒がいたりするわけですが、理由は生徒それぞれお持ちで。

 

学校がシンプルに嫌だから休み続ける生徒がいる。

まあ、そういう子と話すと、学校に行くメリットを学校側が提供できていないことが浮き彫りになるので、無理に登校を促そうとはしないポリシー。

ただ、特別支援学校在籍の生徒となると、一般の高校生や中学生のような学生なんかとはワケが違っていて、自立できていない身分で不登校になるのは死活問題っす。

 

学校に行かないという選択をできる、あるいはしてもいいのは、無条件にみんなってわけじゃなくて、親なきあともある程度自立できるポテンシャルがある場合に限るのかなと個人的には思ってます。

 

そこそこの学力(知識)、そこそこの判断力、そこそこのコミュ力、そういったものが必要なんですね。極端な話、そうだな、必要に応じて人に頼れる力、自然と人から助けてもらえる雰囲気、そういったものがあればいいと思う。

 

そういう装備なしで不登校ガン決めは、お門違いかなと思います。ぼくはね。

 

 

そういえば、テストが嫌だから休む生徒がいたりする。

 

「テスト」という言葉に、体がアレルギー反応を示すかのように登校を渋る。

 

さいころから苦手意識がある場合、高校生の年頃になって克服するのは正直厳しい。

 

頭じゃわかっているけど、心と体が追い付かない現象が起こる。

 

まあ、テストというものはぼく自身、「好きにすれば?」というスタンスなので、テストが嫌だから休むは、「いいんじゃないかな」と思っていたりする。

 

ただ、テストとは違った新たな嫌いなもの・苦手なものが目の前に立ちはだかったとき、どうするんだろうとは思う。逃げ癖つかないか心配になる。

 

いや、絶対つくよな。

 

好き嫌いを極めた子が栄養バランスを崩して万年体調不良で苦しむ様と同じだろうなきっと。

「あ、これヤバいわ、、生命の危機だ」と痛感するまで、変わらない。

 

だから不登校生徒に対してアプローチをするとき、当事者がヤバさを感じないと無意味なのかなと最近は思っていたりする。