井の中の蛙大海を知らずに過ごす

特別支援学校で先生をやっているけど、勤務当初からぼくの願望は変わらず、「特別支援学校という枠が無くなればいいのにな」は絶えず心の中にずっとあって、最近はますますその思いが強くなるばかりです。

 

重度の肢体不自由や精神障害の子に関しては、たぶん特別支援学校という場所は必要だと思う。

 

でも、ぼくの教員3年目の経験から言わせてもらえば、軽度知的障害や聴覚障害の子は、コミュニケーションが実はそれなりにスムーズに取れるので、一般の学校に在籍する子どもたちと一緒に学んで全く問題ないと思ってます。

 

まあ、それができないのは、「基礎的学力」とかを謳っている時代遅れの学習指導要領の存在がでかいからなのですが。

それさえ取り払って、本当の意味での個別最適化の学習が保障されれば、ぼくの願望は叶うでしょう。

 

型にはめようとしている今の教育には嫌気がさすばかりで、居心地が悪いです。

 

人間関係も閉鎖的。

 

他校との交流はあったとしても、イベント的。

あっても年に2回程度。

 

普段は同じ特別支援学校に通う生徒との交流になる。

 

もし、少人数クラスに配属された生徒が、誰とも馬が合わずに仲良くなれないとしたら、学校という場所、というかゲージは本当に罪深いよなぁと。

 

「いいから、あなたはそこで数年間、過ごすのよ!」

「仲良くできない?ダメよ、大人になるには乗り越えないといけないのよ」

「人と折り合いをつけて付き合っていくのが大事なのよ」

 

まあ、先生ならこんな指導をするのかね。

 

ぼくから言わしてもらえば、「狭い空間で逃げ場のない子に言う言葉がけではないけどね」と言っちゃうけど。

 

狭いよなぁ、学校は。