引き際が難しいのね

勉強嫌いだった生徒が来年度に英検を受けることにしたらしい。

 

話を聞いている感じだと、もともと英語に対するアレルギーみたいなのはなかったそうで、ひょんなことから決意したのだと思う。でも、それまでは本当にどの教科も勉強してなかった。

 

英語科担当の僕は、時間を見つけては教えています。

向こうから教えてほしいと言われればそりゃ嬉しいわけで。

 

こういうとき、あぁ、教師やってんなぁと自覚する。

嬉しくなっちゃってるんだもん、教えている自分に(笑)

 

 

その子に合ったオリジナルの課題プリントなんかも出して、丸付け→添削→場合に応じて解説、という流れで日々教えています。

生徒数が少ないうえに、そもそも「勉強教えて!」と言う生徒自体、特別支援学校では珍しい話で。もちろん準ずる教育の生徒は別で、過去に「教えてください」と言われたことはある。

 

欠席や遅刻が目立っていた生徒だけど、英検を受ける+ぼくと二人三脚で勉強する決意をしてから、なんとなく学校に来る意欲が出てきたというか、前向きになった雰囲気があるような気がする。

 

少しだけ、活気が出てきたというか。

 

できる・わかるようになったことを喜んでるなぁと。

 

ぼくとしては、「安定的な登校を促すために英検対策を一緒にやっている」イメージです。英検合格も大事ですけど、まずは登校かなと。

 

でも、仮に今年、ぼくがこの学校を出て行くことになったらどうなるのかなぁとふと考える。若手だし、そろそろ異動する年数でもあるのが事実。

 

しなかったらしなかったで、まあ、特別支援学校から早く出たい気持ちは山々ですが、このまま卒業担任として今のクラスを受け持って、卒業させるという経験ができる。数年で2回もかよって感じですが、貴重ではあるし、達成感もあることでしょう。昨年の卒担は1年の付き合いでした。卒業までとなると、今のクラスは2年の付き合いとなり、余計に、妙な愛着が湧いてさ、また別の感動がありそうだね。

卒業以外に、その子の英語勉強にも継続して関わっていける。

 

でも、異動してしまったら。

 

担任は、誰かがやってくれる。

学校てそういうシステムだ。

だから、卒担の後任者に関しては、どうとでもなると思っている。

 

ぼくが嫌いな「自分色に染める学級経営」はしているつもりはない。ほら、いるじゃない、「自分のクラス ファースト」みたいな、「私のクラスは他と違うんだから!」と言わんばかりの正直イタい学級、というか担任。

 

ああいうのを見てると、「あなたは良いかもしれないけど。ほら、快感に浸っちゃってさ。でもその環境に慣れた子どもたちがあなた以外の教師を受け付けれないかもしれないよ?」と思っちゃうんですよね。

エゴに溺れてるタイプの学級経営、ほんと嫌だねぇ。

 

ぼくは一貫して、適度な距離感を保っているつもりです。

ドライってわけじゃないです。

 

溺愛し過ぎず、放任し過ぎず。

そんな感じ。

 

お互いに執着し合わないような距離感、あると思うんだよね、生徒たちとぼくの間に。

 

でも、さっきの生徒の英語学習に戻るけど、自分がその学習に関与し過ぎて、いざ異動となった際、果たして継続して学習できるのだろうか、モチベーションを維持させることができるのだろうか、というか、改善しつつある学校への遅刻・欠席がまた復活しないだろうか、と心配になる。

 

 

「自分がいないからやーめた」

という結果にだけはなってほしくないですね。

 

その子に限らず、ぼくがこの学校で関わった何もかもが。

 

教科、校務分掌、委員会、雑務。

 

自然体を作り上げるのってこんなにも難しいのだね。

 

引き際がさ。