「エビデンス俺」はこんな時
生徒のツボどころがわからない時が多々ある。
ぼく自身、人の感情には敏感なもんで、
(他人に気を遣い過ぎるがゆえに、
物事が進まないこともしばしば)
「案外気を遣える人間ですこと。」
「やっぱわかってるよねこうだいは。」
というい意外な評判がある。
ただの自惚れではなくて、直接言われるんです!
ほんまに!信じて!
それでも、人、殊に生徒のことが
本当にわからない(読めない)ことがある。
生徒と教師間に、誰がどう見ても「信頼関係」というものが構築されているはずなのに、言葉がけをちょっと間違えるだけでひどく落ち込む生徒もいる。
あれ、ここのツボは違ったのか。
自分が予想していた展開にならないのだ。
期待通りに落とせない。
「ぼくと君との信頼関係ならば、この言葉がけで良いはずなのに」
という「エビデンス俺」をベースに接するわけですが、
たまに不発のパターンがある。
「エビデンス俺」というか、ここはもうなんだろ、圧倒的な勘とかセンスとか、他人が立ち入って口出しできる領域ではなくて、もうあれですね、完全に雰囲気なんですね。
バットをこう振ったらレフト線にガツーンと
ホームランが打てちゃうとか。
空気を読んでこのボケをすればガハハと
会場がドカ受けしちゃうとか。
その類の「エビデンス俺」ですね。
ぼくは、「個ー個」より
やっぱり「個ー集団」が向いていたい。
あゝ、『学び合い』がしたい。