12月31日はだいたい今年を振り返りがち。

12月31日となると、みなさん決まって「今年の振り返り」とか「来年の抱負」とか、「今年の後悔」とかを書きますよね。

 

みんなと同じようなテーマで書くのって気分が乗らないなぁと思いつつも、「でも1年を振り返る瞬間っておそらくこの日だけだぜ?」と思わずにはいられないから、結局「今年を振り返ってみようかしら。」というはじめの言葉から書き出しそうな今日のブログへようこそ。これも一興やね。

 

まあ、自分で大胆にフッておいてあれなんですが、

今年を振り返ってみようかしら。

 

3月に無事、大学院を修了し、「よっしゃガッツリ『学び合い』すっぞ」と、2年間の集大成を発揮しようという熱い思いを抱いたまま現場へ出た。

 

ただ、初任校がまさかの特別支援学校でした。

軽度の知的障害をもつ生徒と聴覚に障害をもつ生徒が通う、ものすごく小さな学校。

 

正直、拍子抜けしました。

 

「(人数的に環境的に社会情勢的に)これじゃ『学び合い』できないじゃないか!」と。

「ぼく特別支援の免許ないんですけど..」と。

 

まあ、『』に関してはもっと自分からグイグイいけばいいんでしょうけど、それは置いといて。別のアプローチを考えていきましょう。

 

とはいえ、一人の教員として生徒たちと日々接していくわけですよ。日に日に強く思うのは、「障害というタグがついているからここの特別支援学校にいるけど、接してみたらめちゃくちゃ普通じゃないか?」ということ。

 

ここで使っている「普通」とは、「違和感がないよ」ってこと。

 

周りの人が、そのいわゆる「障害」っていうやつを把握・理解さえしてれば、問題なく一般校に通学できないかい?と、3分の2年間働いた今でも、どうしても思ってしまうんですね。『』の考え方が大きく影響してるからだろうか。

それと、自分の勤務校の生徒、比較的軽い障害なだけなのか。

一概に「普通だよ」とは言えなくて、個人的観測止まりなのか。

 

もうちょっと時間が必要ですね、これについては。

 

それにしても、学習指導要領という規制が子どもたちを縛っているという実態には、歯がゆさを感じる。現場に出て、より一層ね。

 

 

 

「特別支援学校」という箱について、

身をもって深く考えさせられる1年でした。

「特別」って「過保護」と紙一重なのかもね。

 

 

そういえば勤務校は比較的かなりホワイト。

これは何度もブログで書いてますね。

他の地で働く大学院のときの同期が、部活や担任業務や校務分掌でヒーヒー言ってる中、ぼくは颯爽と17時ちょっと過ぎには帰っているし、年休(時間給)もバンバンとっている。

もちろんやるべき業務はやってますよ。

 

まあ、でも勤務先が自宅から30km離れていて、片道1時間。結局誰よりも早く帰っても、ぼくより遅くまで学校に残っている同僚と自宅到着時刻はそんなに差がない。

 

早く帰っているから時間を作って勉強したり、給料というものが振り込まれるから学生の頃は金銭的に絶対できなかった新しいこと・ものに手を伸ばしたりしている。

いろんな感性を養ってはいるつもりだ。

「ただ、まだ、もっとこう、斬新で思い切ったこと、できただろ?」と思う年の瀬。

 

お金と時間の使い方、

もうちょっと見直しましょうねって話です。

難しいもんで。

 

さあ、数時間後には2021年だ。

 

ぼくはきっと、これと言って特別なことはしないだろう。

 

起きたら2021年でした、

というそんなオチであり、

そして新年のイントロだ。

 

年々、年末年始の特別感というかブランド力が薄れていく。

どうやらこれがぼくの歳の取り方らしい。

 

それじゃあ、また24時間後の

2021年のぼくらで会いましょう。