ぼくの「頭の辞書」から消えた言葉
個人的に安易に使えない漢字がある。
それは「内気」という言葉。
内気と書いて「うちき」と読むわけだけど、
これを中学の頃から、今も、正しく読めないでいる。
「ないき」と読むっけ?
「うちき」と読むんだっけ?
どっちだろう。。
と、この漢字を見るたびに悩んでしまう。
その度に調べては、「ああ、うちき、ね!」
と再認識するのだけど、1日経つと、
「あれ、どっちだろう」と悩んでしまう。
決してぼくに学習障害があるわけではない。
漢字検定は中2のときの「3級取得」で止まっているけど、どんな漢字でもそこそこ書けるし読める自信がある。「その読み知ってるんだ」と思われるようなものも、スッと出てくる。
それなのに、「内気」だけは昔から読めない。
「なんでなんだ..」とその理由を探していると思いきや、実はもうその答え、自分の中では出せている。
中3の頃、親戚の家に集まっているときに、
ぼくが迂闊に「例の言葉」を使ったんですね、正しい読みを知らないまま。
確か3歳の従兄弟に、
「多分、“ないき” なだけだと思うけど」
「“ないき” じゃ仕方ないさ」
と、ないき ないき と連呼していたんだよね。
すると横にいた母親から、
「うちき、ね。」
「その読みやめてよ、恥ずかしい」
「みんなキョトンとしてたよ」
と、批判の嵐を頂戴した。
それがどうもトラウマのような形を纏ってぼくの中に残り続け、今もなお、アノ言葉を口から出させずにいる。
「間違ったら、怖い。どうしよう。」となり、
「でも、言わなければ問題ないよね」と。
内気という言葉は、
彼此もう10年近く使っていない。
ぼくの脳内語録からほぼ消えてしまったのだ。
半透明状態。
使おうと思えば使えるけど、
使う予定は今後なし。
なんてこと書いてると誤解されますが、
別に母親を恨むつもりなんか毛頭ない。
ぼくが知っている言葉の数百万分の1を失っただけに過ぎないですし、例の言葉と似たものはいくらでもあるから、それらを代用すれば全く支障ない。
ぼくは大丈夫。
ただ、一旦、立場を変えて考えてみる。
教師として、同僚として、元カレとして、恋人として、友達として、息子として。
ぼくはこれまで、およそ何人くらいの人間の「ある言葉」を「例の言葉」にさせてしまったのかなと、ふと思う。
もう二度と使えなくさせてしまった、そんな言葉。
あるのかな。
いや、あるよな、きっと。
わざわざしなくてもいい批判、からかい、コメントによって、
きっと誰かの頭の中から「ある言葉」を消させてしまっているよな。
言葉って難しいもんで。